ダウンってほんまに暖かいノラ
最近、何かと慌ただしい日々が続いていますトネリコ仲間から貰うメールに、ブログを楽しみにしている…と書いてあるといつも申し訳ない気持ちになりますが(ブログの更新が遅くなってごめんなさい)年末年初は、いつも何かと行事が多い我が家です
つい先日も親戚のお葬式で滋賀県へと急ぎました。
秋口まではとても元気だった91歳のおばあさんですが、大往生だったせいか、落ち着いた雰囲気の中いろいろと感じ入るお葬式になりました。
それにしても、読経があんなにも波動の高いものだったとはネ。
最初は4人のお坊さんがそれぞれ異なる波動数で読経していたのですが、そのうちにいわゆるハモる段階になると、波動数がどんどん上がっていくのです。加えて、みんながお焼香する場面になったとき、その波動数はピークに達しました。
思うに、お焼香するみんなの祈りの周波数とお坊さん達の読経の周波数が一致して、高波動の瞬間を作り上げたのでしょうね。その時、見事なまでに生き切ったと言えるであろう故人の人生を思い浮かべました。故人を思う「祈り」の力がこれほどまでに大きいということを再確認、お葬式とはいえ、清々しく澄み切った気持ちで葬儀場を後にしました。
かと思えば、座骨神経痛がようやく治り加減になっていた実家の老母が転倒して腰を痛め、またまたギブスのお世話になるという出来事もあったり…毎年のことながら、年末年初に「浄化」を繰り返す我が家です。まだまだ浄化すべきことがあると言う事でしょうネ。
でもね、きっと、これは良いことなのです
「破壊」と「創造」が一度に起きて初めて「変容」が起きる…
これは真理なので、辛い悲しい出来事もキチンと受け止めて、「癒し」て再び蘇る原動力に変えられれば、それは「変化」を促すパワーに転化します。
なので、辛い悲しいだけで終ってはいけないのですね。
しんどい事態を泣くだけ泣いてたら、怒るだけ怒ったら、ゆっくりとそれに対するこだわりを手放して、次なる幕を開けるモチベーションに変えましょう。
ただし、ゆっくり、ゆっくりね
私も老母に語りかけています。
「頭じゃなくて良かったやん。今年中に終らせてしまおうよ。今度はきっと早めに終ると思うから」
で、毎晩遠隔レイキを送っています。なんだか、今年は毎晩送るハメになってる気もしますが…
でも、痛さをこらえる当人としては、
「でもねえ、やっと治り加減になったのに、なんでまた?だよ」…
そりゃそうだね〜でも、原因が“あった”からこそ、結果として“出て来て”いるわけで…
「油断してたでしょ?」と言いたい気持ちをこらえて、
でも、それが生きるってことなのかなあ〜と、独りごちする私でした。
わちきは日向でのんびり…の猫生がいいニャ