この言葉は、宝塚歌劇団を創始した小林一三翁の遺訓だそうです。私はこの言葉が大好きですが、それは宝塚ファンであるからでも何でもなく、もともと「正々堂々」という言葉が好きなので、そうあるために必要なことは何だろう?という強い思いから導き出した答えなのです。だから、小林先生が遺訓とされたこの言葉は人間の生き方として絶対的に正しい普遍的な言葉だと思います。
「私は私」という安心感に基づいて正々堂々と生きるには、自分が正しいと思うこと、清いと思うことをなし続けるしかありません。
満開の桜の下で、ひっそりと咲いていた花。たった一輪、清く正しく美しい姿を教えるかのように。
実は人間は心の奥底で、自分にとって正しくないこと、清いとは感じられないこととはどういうことか、どういう状況なのか、無意識的に「わかって」いるものです。
だから、心にやましいことがあれば誤魔化そうとするし、逃げようとする。
私は絶対的に「人間」という存在を信じているのですが、それは人間は元は「神様」だったという確信に基づいています。
私はあなたが神様であることを知っているのに、なぜあなたは自分が神様だと知らないの?知ろうともしないの?・・という問いが私の仕事のモチベーションを支えています。
なぜ、清く正しく・・なのか?
それは、あなたは元々、清く正しい人だったから。
なぜ、正々堂々と生きなければならないの?
それは、困難多いこの現世を不安なく生き切るには、正々堂々と「私は私」と言える気概が必要だから。
だから、私はいつも清く正しく生きられるようにと、大神様に誓っています。
正しいと思えることは、清々しいし、
清いと思えることは、正しいし、美しいに決まっています
なぜって、それは宇宙の真理、存在するものの真実の姿だから
それがもっともシンプル、自分らしい人生への道標だと、私は心から信じているのです
老いてなお、清く正しく美しく・・あれるように!