今朝の空も相変わらず青白い太陽
さて、昨日の続きです。
この国はもちろん、自分を滅亡させないためにも、理想の姿を見つけよう!と書きました。こうであって欲しい、こうなりたいと思う理想像が見えなければ、何が大切なのか何を大事にすればいいのかわからないからです。
では、わかったらどうしますか?もちろん、それに向かって邁進するのみですね。到達するのに時間がかかろうが、目標さえ見失わなければ大丈夫!
ですが、もし、それを邪魔するものが出てきたらどうしますか?
それが次のテーマです。
私ならどうするか?私は自分を守るために断固として「戦います」それは明白なこと。
ただ、その前に、今は「待つべき時」か、「今こそ戦う時」か徹底的に精査しますよ。
敵がわかってくれるまで待ってても大丈夫な相手かどうかも慎重に考慮します。その上で、待った方が良いと判断したらスルーして、その時が来るのをじっと待ちます。その代わり、今は待つ時では無い、あるいは、今しかない!と判断したら、徹底的に攻め入ります。
私のセッションのやり方も全てそうです。トネリコ仲間なら、私が妙に優しい時と辛辣な時があるのはご存知ですね。笑
こんな時、キリストを引き合いに出すのは恐れ多いことですが、実はキリストさんは戦う人でもありました。愛するもののためになら断固として戦うことを否定してはおられません。
「悪を憎んで、善に執着すべき」と説かれ、神は正当な理由があるときは戦争さえ厭わないと、善悪の判断に対する峻厳さを教えてもおられます。
ただ、我々人間は神ならぬ身、その善悪の判断をどのくらい正確につけられるのかですが、それは「迷える存在」として、「善悪の判断をした自分に責任を持つこと」で許されるのだろうと思います。
もしも判断が間違えていたら、ごめんなさいしかありませんもの。だからこそ、自分で責任を持てないようなことには慎重になるべきということでもありますが
さあ、それらを承知の上で言います
誰よりも何よりも自分を大事にしましょう
自分のことを自分以上にわかる人などどこにもいません。誰かのことをわかったつもりで、自分が犠牲になった幸せなど、相手にも自分にも、決してもたらしません。
学びの途中にいる人間にとって「人は人、自分は自分」という姿勢がとても大事
それを真に徹底できるようになった時、本当の愛がわかるようになります。迷える人間同士として、自分以外の誰でも愛せるようになります。
学びをしている自分を守るためになら、いざとなったら戦うのは当たり前のことです。
でも、できる限り戦わないで済むように、それ以前に、自分を愛し、誰にも犯されない毅然とした自分になることがもっと大切です。
自分を愛するという意味は、自分が素晴らしい自分だからではなく、未だ地球にいる「迷える人間」として素晴らしいところもダメなところもいろいろあるけれど、自分が未だ迷いの中にいることを知っているし、自分と相反する人もまた迷いの中にいることを知っているからこそ、愛せるのです。そんな自分を何よりも心から労り、愛しましょう!
私の言うことはいつも一緒だけど、みんながわかってくれるまで、何度でも言います。
人はみな、それぞれが「唯一無二のかけがえのない存在」です
だから、私は人間が大好き、みんなが大好きですもちろん、この国のこともネ