For truth 「真理をたずねて」

ルーエの夙川だより

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「お話会」よりNo.15

さて、今日から2024年4月に行った「お話会」より、「エーテル体、アストラル体、メンタル体について」の抜粋です。

まずは、幽体離脱と臨死体験について。

突然、目の前に飛んで来てビックリさせる「未確認飛行物体」・・笑

アストラル体やメンタル体については以前にもお話したことがあるのですが、今日はもう少し詳しくお伝えしたいと思います。
アストラル体という言葉はスピリチュアルな世界では結構耳にする言葉ですね。
ネット情報ではどういう紹介がしてあるか調べてみましたが、ちょっと笑ってしまったのが「魔術師のみならず、全ての生物が有している精神体」。他には「神智学の体系では、精神活動における感情を主に司る、身体の精妙なる部分」などとありました。
私がこれからお話しするアストラル体のイメージは「神智学」の説明に近いのかも知れませんが、近代のスピに影響を与えてきた神智学の情報には少し古いところもあるので、そこは修正しながらお話ししたいと思います。

人間はこの顕現界・・つまり、この現実界では、私たち人間は単に物質肉体だけでなく、肉体を取り巻くエネルギー層と共に生きているというのはすでにご存知だと思います。この肉体に付帯するエネルギーの層が何層あるのかとか、なんと呼ぶのかということに関してはさまざまな考え方がありますが、通常は、肉体に一番近い層から「エーテル体・アストラル体・メンタル体・コーザル体・・」とするのが一般的です。そして、私たち人間はどちらかといえば、肉体そのものよりもこうしたエネルギー体の影響下で生きているということもすでに大方の認識するところです。
このエネルギー層のことを総称してオーラと言う場合もあります。
このことは医学的にも着目され始めていて、以前にドイツのお医者さんで「肉体の周りにはどんよりしたモヤモヤのようなものがある」と論文で発表した人もいます。
どんより・・なんて、いかにも、お医者さんらしい見え方ですが、ちなみにNASAに勤務していた科学者バーバラ・アン・ブレナンさんはオーラが見える人で(のちにヒーラー、セラピストに転身して有名になった)、彼女は肉体を取り巻くこのエネルギー層を「虹色の光」と表現しています。医者が人間の体の周りにどんよりしたモヤを見るのは、主に相手が病気の人だからということでしょうが、実際にこのエネルギー層は色を帯び、体調やその時の感情によってさまざまにその色を変化させます。

先ほども述べたように、肉体を覆うエネルギーの層は、肉体に一番近い層から、エーテル体、その次にアストラル体、さらにその外側の層のメンタル体と続きます。各々の層の境界に明快な線引きができるわけではなく、互いに入り込んだり入れ替わったりしている部分もあるのですが、それぞれの層が持っている周波数の違いによって呼び名と役割が異なっています。
エーテル体は主に肉体の雛形になるエネルギー層で、私たちがお母さんのお腹の中に宿る前に最初に作られ、その雛形に沿って肉体が形作られます。胎児の「魂」はお母さんのお腹の中に入る前からも、入った後お母さんのお腹の中で成長していく過程でも、現実界からはもちろんのこと、高次世界からも膨大な量の情報を受け取っているのですよ。それが誕生時、産道を通る時に光のシャワーを浴びることですっかり忘れさせられてしまう・・そのまま色々覚えていたら、現実界での生活に何かと支障が出てしまうからですが。
ちなみに、帝王切開の子供達の中に前世の記憶を持っている子供が多いのは、分娩時に産道を通らないからではないかと推察します。

さて、人間の生が終わりに近づくと、まずは、肉体を取り巻いていた高次の波動領域、エーテル体以上のエネルギー層が肉体から抜け出します。死んですぐの頃は、もっとも周波数の低い領域であるエーテル体が肉体のすぐ上にモヤや煙のように浮かんでいるのが実際に見える人もいるそうですね。このエーテル体は割に早く無くなって、アストラル体が活性化し始めるので、段々と意識的に自分の姿を表現するようになります。
こうした肉体を取り巻くエネルギーの層と物質肉体は私たちが生きている間は光のコードで磁気的に繋がっているのですが、死ぬとその繋がりが完全に切れてしまいます。

「幽体離脱」というのがありますが、幽体離脱とは睡眠中や人によっては起きている時にも起きる現象で、一時的にアストラル体が肉体を抜け出す現象のことを言います。幽体離脱では肉体との磁気的な繋がりは切れていませんが、死ではその磁気的な繋がりが完全に切れるという点で決定的に異なります。
これとは別に、「臨死体験」というのがあります。これは文字通りに死に臨んでの体験。まさに、死んだのと等しい現象が起きることです。死んだような状態から生き返った人が「死」に臨んで起きる状況をさまざまに伝えてくれるおかげで、死後の世界があまり怖くなくなったという人もいますね。
臨死体験としては、トンネル体験とか三途の川体験、明るい光への移動、死ぬときには走馬灯のように過去の経験がフラッシュバックするというような体験談をよく耳にします。
実は私の友人たちも臨死体験をしています。
その中の一人は若い頃に心筋炎を発症して1週間ほど意識がなかったのですが、その時に自分(の意識)がベッドで死にかけている体から抜け出して天井のところで止まったのそうです。そこからベッドにいる自分を見下ろしている時、自分を見舞いに来た人たちが嘆き悲しんでいる様子を見て、「大丈夫!私はまだ生きているから」と伝えたいんだけど、誰も自分の声が聞こえていないとわかって、絶対にあの体の中にもう一度戻るぞと思ったそうです。
もう一人の理学療法士をしていた友人も同じようなことを語っていましたが、瀕死の交通事故で意識が無くなった時のこと、同じく天井で「まだやりたいことを何もやってない、このままでは絶対後悔する!」と大声で叫んでしまったらしい。もちろん、誰も彼の声を耳にした人はいませんが。
その時何が起きていたかと言うと、ベッドにいる自分は物質次元レベル、見舞いに来てくれている客も物質次元レベルなので、天井に張り付いているエーテル体以上である自分とは周波数が完全に異なっていて交流ができなかったということですね。周波数が異なれば交流は生まれないという典型的な事例です。

それに比べて、彗星探検家の木内鶴彦さんは実際に本当に30分ほど死んで再び生き返ったという世界でも稀な体験をした人ですが、彼の意識は自由自在に宇宙を飛び回っていろんな情報を仕入れてきたようです。ということは、彼が死んで肉体から離れた意識レベルはその時にコーザル体(宇宙体)レベル以上であったことを示しています。
死んだということは、肉体と肉体を取りまくエネルギー層を繋いでいる磁気的な繋がりが本当に切れたということですが、この繋がりが実際に切れて再び接続したということは、とても不思議でレアなこと。普通の人は磁気的な繋がりが切れたことさえ分からず、周りのいろんな情報によって自然に死を受け入れて行くようですが、木内さんは実際の死から再生するくらいの寿命をまだ持っていて、しかも何らかの特別な任務を持っていたので、もう一度現実界に送り返されたのだろうと思います。

そんな格別な臨死体験まで行かなくても、生死を彷徨っている時に、「あの世」を覗き見る人も多いようですね。私の父も74歳の時、居眠り運転をしていた対向車が中央車線を越えて来て彼の車に正面衝突、出血多量で生死を彷徨ったことがありました。奇跡的に意識が戻った時に「大きな光が見えたからそっちに進んで行ったら三途の川が流れていて、そこに死んだおふくろがいた。懐かしくて「おお、かあちゃん」と呼んだら、「ここはまだお前の来るところじゃない。はよ帰れ」と大声で叱られて目が覚めたと話してくれたことがありました。死後の世界を全く認めていなかった人でしたが、それ以来少し考え方を変えたように思います。それにしても、危篤状態で死にかけた人なのですが、その後も元気に90歳まで生きましたから、人間、寿命が来なければなかなか死ねないものなんだと思います。

それでは、幽体離脱と臨死体験の違いをまとめると・・

「幽体離脱」というのは、自分の意識が肉体から外側に抜け出すという体験。アストラル体が肉体から抜け出て、アストラル界以上の世界を経験する現象のこと。で、意識が肉体の制限を受けずに自由に動き回れるので、幽体離脱を経験して世界観が大いに変わる人も多いようです。
「臨死体験」というのは、いわゆる「死後の世界」を垣間見る体験。幽体離脱のように肉体からアストラル体以上のエネルギー体が抜け出るという意味では同じ体脱体験ですが、それがまさに生死の間際に起きて、死と同じような経過を辿りながら(死後の世界を垣間見て)再び現実界に戻ってくるという体験。まだ肉体とエネルギー体を結びつけている磁気的な繋がりが切れていなかったため、死んだような状態から戻ってくる現象です。
幽体離脱と同じように肉体から抜け出て自由に動けることはもちろんですが、「行った、見た」世界がいわゆる「死後の世界」であるということ。生か死かという深刻な立ち位置なので、意識的に自由に動き回るという行動は普通は考えにくい。
木内さんが臨死体験で自由に動き回りながら過去や未来など行きたいところに行けたというお話は、彼が3回も臨死体験をして慣れていたたせいかも知れません。

米国・モンロー研究所開発の「ヘミシンク」という音響技術で意図的に「体外離脱」を経験させるというメソッドがありますが、その場合の「体外離脱」とは、「幽体離脱」を含めたより広範囲の「体外離脱」を意味しています。(すなわち、体の感覚がまだ残りながら、外にいる感覚があるという「エーテル体離脱」のような状態から、完全に体からアストラルレベルが抜け出す「幽体離脱」のような状態もあるということ。(ただ、私はヘミシンクを受けたことがないので、意図的な離脱体験と自然発生的な離脱体験に違いがあるかどうかはわかりません)

ちなみに、一度でも幽体離脱すれば、その後は意図的に繰り返せる人も多いようで、慣れると自分の行きたいところに行けるという人もいるようですね。

次回に続く。