
なぜか、我が気持ちは晴ればれ・・宇宙も晴れ晴れ?
あれよあれよと言う間に・・というか、あれよあれよと言うのも忘れているうちに、すっかり時間が経ってしまったようです。政治は日々うねりの中にあって見逃せないし、最近ハマってしまった古代史探訪も忙しいし、というわけでブログの更新が大幅に遅れました![]()
急に寒くなって・・というのも微妙に違うな。というか、寒いのか暖かいのかよくわからない日々を過ごしています。私の感覚が変なのか、気持ちや感覚がそちらについて行っていないのか?
正直に言えば、政治といい、気候変動といい、この間の激動ぶりには目が離せないものがありますね。ほんと、スピード感が今までと全く違います。
やっとのことで、お目覚めの時期がやってきたとも言えるのですが、国の「平和」は、それを守るという気概と守るための備えでしかあり得ないのだという、しばし忘れ果てていた真実を認めざるを得なくなったということでしょう。
残念ながら、地球はいまだそういうレベルにあるということ。それを認めることは心地よくないけれど、無防備に平和を享受できるほどには、人類未だ進化せず、未だ発展途上ということでしょう。
そういえば昔、先進の福祉行政を学びにデンマークに行った時、私たち一行を出迎えてくれた幼稚園児たちが歓迎のために歌ってくれたのは「デンマーク国歌」でした。ちょっと不思議に思ってコーディネーターにその理由を聞いたところ、自分たちで作り上げた平和を誇りに思い自分たちで守るという強い意志を国歌に込めて大事にしているからとの答えでした。その時から20年余、昭和100年を迎えた今こそ、私たちも自国の国旗や国歌の真の意味を知り大切に守り続けたいものだと切に思います。
歴史といえばもう一つ、私は今古代史にハマっているのですが、資料や本を読み漁っていると、ふとデジャブ感満載になることがあります。
“あ、これって、いつぞや見た夢の内容のことを言っているな“とか、“これは神秘体験で教えてもらったことだな“とか・・点と点が繋がって行って、時系列のある一つの線に結ばれていく感じ![]()
それを思うと、人間の深層意識に刻み込まれた記憶の量は膨大なものなのでしょうね。ほんの少し思い出すだけでもそうなのですから。
以前に過去生について自問していた時、内なる声が「全ての過去生を覚えていたら、カルマのままに生きてしまうでしょ?たとえば、自分の家族が過去生レベルで自分を殺めた人だったら、すぐに仕返ししたくなるはず。知らないから生きていけるんだよ」と教えてもらったことがありました。知らないうちに、カルマ関係の困難をなんとか乗り越えていくことで、カルマも終わるし魂の成長があるのだとも。
別の日には、「縄文時代はほとんどの人が自分の過去生レベルのことは知っていたんだよ」とも教えてくれました。
ということは、愛と調和に基づいて生きていた縄文の人たちにとっては、現世は過去生のご縁によって繋がっているものではあっても、複雑に入り組んだカルマ関係の因縁が少なかったということなのでしょうね。覚えていても大丈夫なレベルだったという意味で。
それが数万年前から約2300年前くらいまで続いた長い長い縄文時代のことです。
思えば、その後のわずか2000年余の年月の中で、こんなにも複雑にカルマの因縁を溜め込んでしまった私たち。。
人間たちを生かしてくれている地球だって、そろそろ嫌になって来たんじゃなかろうか〜![]()
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