昨日、まさに、タイトル通りの感想を持ちました。
トネリコ仲間が勧めてくれたYouTubeを見ていたら、矢作直樹という方が縄文時代の話をされていたのですが、そこで明快に話しておられたのが、
縄文時代には、
貫頭衣を着ていた
テレパシーで話ができた
誰もが霊感を持っていた。。
まさに、えぇーーっ![]()
アレは縄文時代のことだったのか![]()
カラスや花や樹木と話したり、
遠くの山のテッペンの木の数を数えられたり、葉っぱの裏まで透けて見えたり、
貫頭衣を着て目の窪みのところに鎮座している「目玉2個」が「私」だと気づいたり。
その他、私が何度もみなさんにお話しした不思議体験は、矢作さんによれば縄文時代のことなのだとか。
そうかぁ、私は当時、自分が体験していた不思議な現象の意味がわからず、苦し紛れに大学に再入学して心理学や哲学を学び始めていたので、私が見た光景や体感したエネルギーのことを、 “プロティノスの言う「一者」なのか、はたまたこれは、西田幾多郎の「絶対無」なのか?”などと、日記に書いたものでした。
やっぱり、哲学って頭でっかち💦
縄文時代はそうでした・・で終わりなんて。笑
(とは言え、少々異論もあったりしますが)
でも、これである意味ハッキリしました。アレが縄文時代なら、縄文時代は人の心の中まで読み取れましたよ
だからこそ、いつもシンプルで嘘偽りない真の人間関係でいられたので、過去生だって覚えていても何も問題なかったのだということ。
なるほどねー
アレが縄文時代だったのなら、私はかなり縄文を体験していますね👍
そして、おそらくはそのもう少し前、神と人とが同居していた、存在のゼロポイントも👍
いやーYouTubeもなかなかですね。コレからはいろいろ観てみよう!
というわけで、久々にドキドキしました![]()
ドツボにハマりそうで、「あっという間」さえなくなりそうです。
あ〜、時間が足りない😆