慌ただしい日々が過ぎて、少し一段落
ただ、今日も肉体は膨張しており、時に発光している感じさえします。朝から変性意識になること、しばしば。体感的にはあまり居心地はよろしくありません
この間、過去生の記憶の残滓が削ぎ落とされる出来事が続き、ようやく本当の意味で、一つの過去生が幻影になりました。私たちは実は想像以上に霊的な存在で、自覚しようがしまいが、的確に過去生のカルマ落としに努めているようですね。
先日来、私は現世の父親と数千年前の地球において数度、時には片方がエネルギー体&片方が権力者として、または上司部下として同時に居たことがあるというヴィジョンを見ていたのですが、今世でのお互いの役割が、その時代のカルマ落としだったことに気づき心の底から感動しました。お互いが現世で完璧にお互いの役割を果たすことができたことで、その関係性が全てクリアになり、分離感のない一つの融合体として収斂されました。
これを父に直接伝えられず、理解してもらうことが出来ないのが残念でなりません。
なぜなら、彼はスピリチュアルな情報を受け入れるには現世的でありすぎ、今からそれをわかってもらうには歳をとりすぎているからです。でも、真理とは何か、自分とは何かを探し求めて、退職後に仏教を学び僧籍を取ったような人です。あちらに逝けば、真っ先にこの真理に気づいてくれるでしょう。
現世的には、最後の最後に、誰よりも私と信頼感で結ばれるようになった人でもあります。
父は3月に88歳になりました。15年ほど前から、私の神秘体験に呼応するかのように次々に起きる事故や水害、病気などあらゆるカルマ落としを淡々と乗り越え、体が弱まりながらもまだ現世で頑張ってくれています。その本当の意味を思い知ったここ数日。この真実を生きているうちに私に伝えるために、彼はまだココで頑張ってくれていたのだと思うと自然に涙がこぼれます。ただただ感謝しかありません。
人生とはなかなか意味深なものです。人間の浅知恵を超えて、複雑かつ緻密に織りなされた見事なタペストリーのようなものです。「カルマ落とし」と簡単に言い表すことが出来ないほど神秘に満ちています。
だからこそ、過去生や前世を知りたいと思うこと少なく、目の前に起きる出来事に淡々と向き合い、乗り越えていけばいいということなのでしょう。その関係性の全てが愛と調和と感謝に変わった時、全ての真実が明らかになるのですから。
全てを喜びに変えていけばいいのです。その関係性における喜びとは何かを追求していけばいいのです。そのために、密接になる必要がある時もあれば、一時的に離れていく必要がある時もあるでしょう。私もまた父と自然に離れたり、自然にくっついたりを繰り返しました。
でも、それでいい!すべてを神の采配に委ねれば、必ずやいい方向に流れていくのです
思うに、人間関係のすべては、善悪を超えた「お役目」でできているようですね。
いいも悪いもない、自分はどうしたいのかという選択肢を提供してくれるお役割。
正教師でも反面教師でも構わない。その関係性を、見ること、聞くこと、知ること、感じることで、自分はさて、どう生きたいのかという指針を選択できる…いわば写し鏡のような役目なのですね。
そして、そうした役目を演じることができるのは、お互いに過去生つながりのご縁があればこそ!
ならば、その関係性を大事にしない手はありませんね
家族が居て、周りに人が居るということで、大変な魂磨きが進むわけですし、肉体を持ってこの地球にいるということは、ご縁つながりのあらゆる人たちが混在する時間空間の中で生きることであり、それでこそ多転生でのカルマ落としが一気に進むということですね!
まさに、経験こそ宝です時空で制限されたこの惑星で起きるすべての出来事がご縁つながりのカルマであることを思えば(良いカルマ、悪いカルマも両方ありますが)、良いも悪いも超えてすべてをこだわりなく乗り越えていくことこそ、魂を進化させる一番の方法
だからこそ、そうした経験を与えてくれる人たち、経験できる出来事に、心から感謝なのですね!!