For truth 「真理をたずねて」

ルーエの夙川だより

’自分のことを自分で知る’・・「自知」がモットー。
自分らしく、ありのままに、
言行一致の人生を生き切るために。

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人生とは、自分を知るための旅路。

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以前から実感していることですが、地球も人類もエネルギー的な次元シフトが起きており、最近それがますます加速しているようですね。それを確信するこの度の帰省でもありました。
田舎にいる間、私を訪ねて来てくれる親戚や周りの人たちの驚くような変化、変化!急速に目覚めつつある人や、これまで興味すら無かった霊的な情報をいとも容易く受け入れる素直な人たちを目の当たりにして、大げさながら、地球や人間の進歩は、もはやここまで来たのかと驚くほどでした。
地球や人類がエネルギー的なシフトや変化を急ぎ始めた中で、私たち自身もまたアセンションやディセンションを急がされているのでしょうね。あらゆる場面で光が増し、気づきがより明確になることによって、体や心に起きる変化もかつてないほど大きくなっているようです。

では、そういう中で、一体何ができるのか、何をしたいと思うのか…それが私にとって唯一最大の問題。
好きなことを好きなように…こそ、神の望まれることだと知っているゆえの悩みですが、私にとって、今や、私と出会う方々が喜んでくれることにしか喜びを感じられず、それが自分にとって一番好きなことに他ならず…。
私自身は地球に生きている人間として、物質的にも人間関係的にもこれ以上欲しいものがないくらい満たされています。それは、たくさんお金があるとか、家族や私に関係ある人たちが地位や名声を得ているといったことではなく、必要な時には必要な分のお金がどうにかできるということであり、家族や周りの人々がそれぞれ自分らしく楽しそうに暮らしていてくれるということなのですが。

自分が次の段階に進む時が来たように感じるのは、私自身の体感が新しいレベルに進んだからに他なりません。
実は田舎にいた時、私にまとわりつき、足や腕の所々にひんやりした冷たい感触で触るエネルギー体を感じました。何度もなんども!です。この濡れたような感触、どこからか水が落ちてきたのかと勘違いするような感触は随分前から始まっていたのですが、田舎でも何度も同じような体感があって、自分が感じているエネルギーの正体から目を背けるわけにいかなくなりました。

あなたは、龍神…ですよね? 私に何かご用ですか…

実家近くは曽木の滝、その近くの私の産土神社のご祭神はタキツ姫(=瀬織津姫)、そして例祭は私の誕生日です。これでもかと言わんばかりの証拠並べに、思わず、はいはい分かってます〜〜と答えてしまうこともしばしばでした。こういう風に、教えられるものなのですよね。
シャスタに行ってた時も、龍のエネルギーが正体を見せてくれました。あの時は、宇宙人の細工によってカタチとしての龍を見せられたのでしたが、最近は冷たい感触で、龍のエネルギーだぞと、しかと伝えられます。

DSC02280シャスタで見た龍は私にわかるような姿で。

ちなみに、龍とは地球とは次元の異なるエネルギー層に実在する高次のエネルギー体のことです。
なので、実際は私たちが想像する龍のような姿カタチである必要もなく、水に濡れている必要もないのですが、人間に分かってもらおうとすれば、その人にわかる方法で…となるのです。それが、天使や龍などのやり方なのです。そして、私は私にまとわりつくエネルギー体を、水のような濡れた感触を持つ「龍体」として受け止めました。

ことほど左様に、神秘体験以来ありとあらゆる体験を重ねながら、私は自分が何者なのかを知る体験を続けてきました。起きることのすべてを、「自分」として受け止めることで、私は少しづつ真の自分に近づいている気がします。生きていくことそのものが、自分は何かを知る旅のようなものだとつくづく思います。そして、龍神を体感するようになった今、私の使命も次の段階に進むべき時が来たように思います。

さあ、あなたはどうですか?自分を知る方法は、自分の感情に素直になることが一番なのですよ。

それをするのが好き、
それをするのは嫌い、
誰かにこうされると嬉しいし、
こうされたら悲しい、
あの人は大好きだけど、
あの人は何となく苦手、
一番楽しいのはこんな時で、
一番嫌なのはこんな時…

自分が誰なのかを教えてもらえるのは、良い悪いの判断なしに、素直に自分を見つめることができた時です。すべてを認め受け入れて、どういう風になれば一番幸せかについて思いめぐらせ、必要とあれば、今の居心地の悪い場所から離れるもありだし、去るもありだし…
好きな方に、自分がそうしたいと思う方へ進んでみて、後ろを振り返った時に出来上がった姿が自分らしい姿。もちろん、好きなのが純粋に修行だったとしても、それもあり。
達成感や充実感を得るための楽しい修行なら、それもあり。
人によっては、楽をするのが嫌いな人もいるし、忍耐して克己するのが純粋に好きな人もいますからね。
ほら、ご飯を食べたらすぐに片付けないと気が済まない人もいるし、ご飯食べたらゆっくりしてから片付けたいという人もいるでしょ?
良いも悪いもないのです。そうしたいと思ったら、そうするだけ。そうしたいが周りの人と軋轢を生むのなら、話し合えば良い、すり合わせをすれば良い、ただそれだけのことなのです。

もっともっと自分を知りましょう。知ることに素直になりましょう!
本当の自分は、あなたが思っているよりも数倍も数十倍も!いえ、想像すら出来ないくらい素敵なあなたですよ、きっと