遠隔セッションの際の質疑応答でご質問がありました。
「今更ですが、目覚めるって、どういうことですか?」
言われてみれば、確かにそれは「今更」と感じるくらい、私たちの会話によく出てくる言葉ですが、実際は曖昧に使っているような気がします。早く目覚めないと間に合わない・・・最近よく聞く心配の声の多くが、目覚めをアセンション(次元上昇)と勘違いしていることから来ていることも多いように思います。
では、「目覚め」とは一体どういうことか?
それは簡単に言ってしまえば、「な〜んだ、そうだったのか!」と気づく感覚のこと。
目が覚めてみたら、それが「夢」だったと気づくとか、仲違いしていた相手とよくよく話してみたら誤解だったと気づくとか・・そんな類の「気づき」のことです。
その「気づき」が大きな意識のレベルで起きて、自分が単にこの地球上に存在している喜怒哀楽の激しい普通の人間というだけでなく、本当の自分は「愛と調和しかない宇宙」に本源を持つ大きな大きな光溢れる存在であって、この地球は、その宇宙から「必要あって降りてきた星」なのだと、実際に「わかる」こと。
あるいは、実際にわからなくても、そう知ることを「嬉しい」と感じたり、「な〜んだ、そうだったのか」と心から安心できたりすること。
そして何よりそれは、「ならば、本来の自分である愛と調和に生きよう!」と決意することであり、実際にそう生きるということでもあります。
目覚めるとは、そういう本当の自分に気づき、本当の自分として生きること。
もちろん、時にはブレても足踏みしてもいいから、現実の細かな出来事に振り回されることなく、常に中心軸をソコ(愛と調和)に持つことができるかどうかということです。
最終的な目覚めとは、「わぁ、私ってそんなに素晴らしい存在なの!」「この地球は一時的に来た星なんだ、それなら目一杯楽しまなきゃ!」と気づく、思えるということなのです。
そう思えば、殆どのトネリコ仲間が目覚めていますね?(と私は理解していますヨ)
それに比べると、アセンションは少し意味が異なります。
アセンション(次元上昇)とは、私たちの「個としての意識」が私たちのルーツである宇宙の「大いなる意識」に融合されるまで、延々と続く進化の道行き。どこまでも続く意識上昇の旅の道のり。→(追記/アセンションとは、これまでの次元からより高い次元へドンドン移行して行くことです。今、「アセンション」という言葉で言われているのは、この地球にいる間に肉体を持ったままで、地球や人類がかつてなし得なかった次元上昇を実現することを言います)
次元上昇は限りなく続きますが、最終的にはあのお釈迦様が、何度も「小悟」を繰り返しつつも至らず、最後には菩提樹の下で「大悟」され、ついに「宇宙合一」を果たされたというお話のように、小さな覚醒(アセンション)の上にはそのまた上の意識の覚醒のレベルがあり、その上にはそのまた上の覚醒のレベルがあり・・・というふうに、究極的な覚醒が待っています。
地球全体のことがなんでもわかるようになるレベル。次には、太陽系のことがなんでもわかるレベル、その次には、恒星系のことが・、銀河系のことが・・さらに進んでついには宇宙のことが丸ごとわかる意識のレベルまで、その進化には何段階ものレベルがあります。
いえ、宇宙合一したその先にもさらに高度な進化のレベルがあるのかも知れません。
いやはや、いくら自分の意識は大いなる宇宙意識の一部、いつも光で繋がっているとは言っても、宇宙が描く壮大なドラマは人間ごときに簡単に見通せるほど単純ではなさそうです。
まずは、地球レベルでしっかりと覚醒できるよう、愛と調和に溢れる地球人生を生きなくてはそのためにも、自分が演じている現実を少しでも楽しく、かつ本来の自分らしいドラマになるよう書き換えていくことですね〜
以下、番外編
昨日、自粛疲れの心身をリフレッシュしようと近所の夙川に行ってみたら、いつも以上に人出が多くてびっくり。みんな考えることは一緒だなあと思いつつブラブラしてきました。
でも、いつの間にか体が鈍っていたらしく、ブラブラならぬフラフラになって帰ってきました。もうちょっと運動せねば
夙川の松はたくましいのだ!風雪に耐えて、真横に倒れようがびくともしません
夙川の樹木や川の流れの随所にエネルギースポットがあります。