For truth 「真理をたずねて」

ルーエの夙川だより

’自分のことを自分で知る’・・「自知」がモットー。
自分らしく、ありのままに、
言行一致の人生を生き切るために。

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現実は自分で変えられる!



今日サロン周辺は冷たい雨でした。セッション中、庭先の
クリスマスローズの花にメジロが戯れているのが目に入ったのですが、zoom相手のトネリコ仲間が住む盛岡ではいま白鳥が群れをなしているとか。そういえば私が昔むかし盛岡にいた時も近くの川によく白鳥を見に行ったものでした。思い出しつつ、盛岡談義に花を咲かせたひととき♪ あちこち転居した人生でしたが、そのおまけを今ももらい続けているようで幸せ〜な気分でした

さて、昨夜のブログに「現実は変えようと思えば、すぐにでも変えられる」と書きました。
今日は、なぜそう言えるのか?というお話を少し。

私は宗教を学んだことも、特定の宗教を信仰したこともないので、かつては、「この世は幻影」「現実は幻想に過ぎない」だとか「無私・無我」などと表現されるとすぐに「でも現実は現実として目の前にあるじゃない?」と思ってしまう一人でした。
そのことを深く追求することで初めて世界の成り立ちや意識のありようが理解できるようになることも今ではわかりますが、昔の私が疑うこともなく思い込んでいた「現実とは目の前にある確かなもの」という思いを持つ人がいるのもまたよく理解できます。

ですが・・です
私は20数年前、「この地球にすっくと立っている我一人という意識」という圧倒的な体感を得て以来、現実とは「自分がそうであると思い込んでいる事実の積み重ね」であり、「そうではないと思う現実はすぐにも自分で変えられる」という真実を知り、かつそのように実際に生きてきて、やっぱり「この世界はイリュージョン(幻影)である」という言葉がしっくり来ます。
その後に50歳代にして編入した大学で、私が体験で得た「世界は幻影。現実はいつでも思いのままに変えられる」という確信を学問や宗教でも証明できることを知りました。
このブログはそういう私の体験に基づいて、私の人生では確かにそうだったから、そのようにすればきっとそうなるよ〜という視点で書いています。それが少しでも生きるヒントになれば嬉しい♪

本当に、自分さえ自分の人生の主人公になれれば、現実なんてすぐにも変えられるんです。変えられないとしたら、自分がまだ人生の主人公になれていないということに過ぎません。変えようと思ってもなかなか人生を変えられないとしたら、それこそが地球において落とすべきカルマなのかも知れませんから、それならば、淡々と乗り越えつつ落としていくしかありませんこの地球にただ一人、なのが真実でも、地球という星は相対的な関係性でできている星ですから、他の人との関係性の中で克服するべきカルマがあれば、変化が多少は遅れるかも知れません。

でも、それでさえ「じっと見ているだけ」で、自分が変えようとジタバタしなくても勝手に良い方に変わるものなのですよ!見ているだけでいいのです逃げないで、そこにまだあるなと、そこに問題があるんだなと気づいているだけでいいのです。気づいていさえすれば宇宙はカルマ落としが早くできるようにありとあらゆる手段でサポートをしてくれます。
それだけでなく、宇宙は、その人がその人の現実を宇宙が望むように変えた時、素敵なプレゼントさえしてくれるのですよ
私は、かつて宇宙の法則に目覚め始め強烈な気づきがあったある朝、昨日までは蕾さえついていなかったバラの木に一夜にして数十本のバラの花がまるでブーケのように咲き誇っているのを実際にこの目で見ました!その時は素直に、宇宙さん、プレゼントありがとう〜!と受け取りましたが、みなさんはその用意ができていますか?
まさに、宇宙はなんでもありなんですよ

で、またまた話は変わりますが・・
先日の「古事記」の話。最近、「古事記」がまさに壮大な宇宙スケールの話であると気づいてびっくりしていますなんで、「古事記」の編者は、こういう宇宙エネルギー的な発想ができたのでしょう!太安万侶?稗田阿礼?・・誰かは分かりませんが、まるで量子力学的神学論を生み出せたのはなぜ?と思う毎日です。きっと、みんながアメノミナカヌシノカミの分霊なんだね〜!が今日の感想
直接産んでくださった魂の親神様は別におられると思いますけどネ。