For truth 「真理をたずねて」

ルーエの夙川だより

’自分のことを自分で知る’・・「自知」がモットー。
自分らしく、ありのままに、
言行一致の人生を生き切るために。

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きっと全てがうまく行く!

久しぶりに、「ゾーン」に入ってしまっています
こういう時は、なかなか現実界に戻れません。ブログを書き綴ることも難しくなります。
なんせ、いっちゃってるんですからお仕事で誰かに会っている時だけが現実のような・・そういう中、今日はピチピチしたトネリコ若者に会えて、久々の現実を楽しめました。
満ち足りた余韻のまま、お見送りした後に、これも久しぶりの夙川公園を歩きました。
正直なもので、私の気持ちに答えるかのように、空には虹がありました。

「あんなしっかりした若者たちがこれからの日本を背負ってくれるんだもの、きっと大丈夫だね〜」


いっちゃってると、全てが筋書き通りに見えてきます。あれこれあるけど、あるかも知れないけど、それは全部が既定路線。必要なんだから仕方がない。徹頭徹尾、それしか言えなくなります。

まさに、必要なことが必要なように起きつつ、日々が過ぎているのですね。そういう意味で言えば、ひとままずは「順調」。ただ、別の言い方をすれば、いろいろ起きて大変・・という方もおられるのかも知れません。

感覚が繊細すぎると現実的にも困ることがありますが、今はそれよりも「いっちゃってる」時間の方が多くて、たくさんの情報が押し寄せている感じです。ただ、光の翻訳機能が今ひとつで、それが悩ましい。一度出口が見つかると、芋づる式に情報が「見える化」してくるはずなので、今はじっとその時を待っているところ

「いよいよ次の任務にシフトする」という天の声はすでに聞こえています。
次の任務・・ねえ。
もう十分生きたし、頑張ったし、次の。。と言われてもと答えた私に、天の声は、「すぐには死ねないのだから、新しい任務をもらうしかなかろう?」と来ました。人は皆、意欲がなければ、志がなければ生き続けることが出来ないのだそうです。亡くなる人に、まだまだやりたいことがあったでしょうにという言葉を送ることがありますが、やりたいことがなくなったから人は死ぬのだそうです。食べたい、着飾りたい、遊びたいも立派な意欲。亡くなる人は、もはやそういう意欲さえ失ったから。
私にはもはや、食べたい、着たい、遊びたいがないので、多分、そうしなければならぬ、という命令形で天から生きる必要性を説かれてはじめて生きられるような気がします。それもなくなったら、いよいよバイバイですね。

今はただ、いろいろ言わなくても書かなくても、なるようになるよね〜としか思えない私がいます。「現実」とは、自由意志を持たされている生身の人間たちが相互に描きあう「ドラマ」です。その筋立ては実は宇宙レベルから見れば、既定路線に沿って進んでいるのだけれど、演じる人間にとっては筋書きが見えないからこそ楽しめる「ドラマ」。ドラマなのだから、その筋書きがどこかでハラハラドキドキ出来なければ面白くはありません。
私のように、だからどうなん?と居直ってしまう人なんて、観客としたら、最悪かも

こんな時は、仕事に夢中になることが一番です。
ともかくも、一瞬一瞬に集中して、今できること、やるべきことをやること。つくづく、お客さまに生かされている感じがします。
本当に皆さん、今更ながらにありがとう!です!!