では、前回の続き。「お話会」のお話に少し補足も交えて
* * *
さて、さまざまな神秘体験を重ねていた頃のことです、自分の体が透けて見える感覚になったり、まるで透明人間になったかのように夢か現かの日々を送っている頃でしたが、自分が奇妙な次元にいる(それまで認識していたのとは全く異なる)ことに自分で気づくというヘンな感覚になる時がありました。今思えば、特に体験後の2年間ほどは私の意識はいわば死後の世界と現世を行ったり来たりしていたのではないかと思います。
今や、人間が単にこの物質肉体だけで存在していると思う人はいないでしょうが、人間は肉体以外に肉体を取り巻く(肉体の中にもありますから、取り巻くという表現が適切かどうかわかりませんが)いくつかのエネルギー層と共に生きています。
人間の魂(=個的意識)はもともと「神様(=起源意識)の分霊」として、神様や天使のような波動の高い次元も持っていれば、感情の乱れや肉体の不調に苦しむような波動の低い次元も持っている・・というように、異なる波動領域をもつ幾つかのエネルギー層を含めて成り立っています。生きているうちは、魂そのものの波動が肉体の持つ波動に影響されていますが、死後肉体の影響から離れた魂(=意識)はその次元レベルに応じて、幾つかの波動領域層を経由しながら起源意識に向かって上昇していくのだろうと思います。
その中で物質肉体の波動レベルに一番近いエネルギー層を「エーテル体」と言っています。肉体が存在する次元の少し上の波動領域にありますが、肉体の雛形みたいなエネルギー体で、死後も少しの間は残るので、臨終に立ち会うことが多い医療関係者の中には、亡くなった直後の遺体のそばに何らかのエネルギーとして感じ取る人もいるようです。
人間は死後、物質肉体を離れてこのエーテル体のままであの世(物質レベルと別の次元)に向かいますが、すぐにエーテル体を脱ぎ捨てる人もいれば、中にはエーテル体のままで彷徨ってしまう人もいます。例えば、自分が死んだことをなかなか認めることが出来ない人、死後の世界があると思っていなかった人や地球に未練たっぷりの人はすぐにはエーテル体を脱ぎ捨てることが出来ないようです。
さらにその先に進むとアストラル・レベル(=アストラル界)になります。おそらく私の意識は神秘体験後、このアストラルレベルやその上位次元のメンタルレベルの波動領域を行ったり来たりしていたのでしょう。
アストラル体とは、「感情体」とも言って、「人間の感情が発する媒体」であり、「感情・発想・欲望や恐怖を司る部分」などとも説明されています。
実際このアストラルレベルの領域では、人間の精妙な感情の動きが手に取るようにわかるんですよ。五官がとてつもなく敏感になり、現世レベルの五官を遥かに越えて様々なことが「見える」「感じる」ようになります。
あ、この人、嘘をついてるなとか、自分でも本当の自分の気持ちに気づいていないなとか、瞬時にわかってしまうのです。樹木や動物などの感情もダイレクトに読み取れます。水が欲しいんだなとか、怖がっているんだなとか。会話も出来るんですよ、私はカラスや猿や庭に植えてあったハナミズキや草花とテレパシーで意思疎通が出来ました。そして、彼らも人間と同じような、いえ、人間よりも崇高な感情を持っていることに驚いたものです。
このアストラル界というのは、エーテル体を脱いで最初に出会うエネルギー層ですが、感情の動きが意思決定をする層なので、好きな人とはすぐにくっつくし、嫌いな人とは瞬時に離れます。肉体を持たない分、隠しようがないストレートな感情が、そこに住む世界の有り様を決定づけてしまう、裏も表もない世界です、正直な感情のままの世界。
自分だけでなく相手がどう思っているのかが一瞬にしてすぐにわかってしまうので、ちょっとエグいくらいの正直な現実があるところで、しんどい人にはとてもしんどい世界です。
ただ、その世界で学びが進み、愛に基づいて行動できるようになればなるほど、豊かで喜びに満ちた世界になっていきますし、その人の意識レベルに応じて、地上にいた頃よりもはるかに多種多彩な経験をすることができる世界でもあります。
このアストラル界のもう一つの特徴は、「想像したものを簡単にかつ実際に創造することができる」ということですが、この創造力こそがアストラル界における多種多彩な経験を生み出しているということでしょう。
アストラル界よりさらに次元の高い層にメンタル界(精神体)があります。
こういうエネルギー区分は明快にココからソコまでと線引き出来るわけではなくて、アストラル界とメンタル界とは入れ違いになっているところもありますが、メンタル界は一般的に「精神的な部分や知的な思考、自己表現を司るエネルギー層」と言われます。
過去生の因縁や生まれ持った才能などもこのメンタル体に保持されているとも言われていますが、私自身の体験で言えば、この層まで昇ると、自分がチョー頭が良いことに気づいたりします。私自身はこの層の次元まで昇ったとき、ああ、自分はノーベル賞を取りたいと思えば取れたんだなあ、偉大なクラシック音楽の作曲者にだってなれたんだなあと普通に思いました。
というか、な〜んだ、自分だけでなくみんなが頭がいいんじゃん、みんなが賢くてなんでも生み出せるんじゃん、と心底わかりました。(アストラル界にいれば、なんでも創造できると書きましたが、まさに、この辺りのエネルギーレベルに入ると、自分が望むことならなんでも創造できる神の領域にいることを確信します)
ではなぜ、ノーベル賞をもらう人と貰わない人がいるのか、それは単なる人生の「選択」の違いなのですね、そのことに徹底的に気付けます。単に、今回の人生がそれを選択しているか選択していないかの違いだけなんだと
私は自分の今回の人生設計が物理学になることでも音楽家でもないのがすぐにわかったのですが、人間というのは気持ちの底の底の方に、この人生で選択する可能性のあるところをグルグルしているようですね。
少なくとも、全く畑違いの分野に憧れたりしないのは、自分の魂の本質をわかっているからはないでしょうか。
実は私、高校生の頃、キューリー夫人に憧れてノーベル賞をもらうような物理学者か医者になりたいと思ったことがあるのですが、なんでそう思ったのかという意味が、このメンタル界に昇った時にすぐにわかりました。本当はそうなろうと思えばなれるかも知れないのだけれど、自分がそういう人生を選んでいないということなのです。それでも、そういう人生もアリなので、そう意識した、夢見たことがあったということでしょうね。
そういうふうに、自分の人生を理知的に理解できて、しかも人生設計に基づいた自己表現を正確にできるのがメンタル界です。この層は、現実世界では「直感」や「第六感」として表現される層でもあります。
メンタル界にアクセスできた私が思ったのは、人生は自分が描いてきたプラン通りに生きてしまうものなんだということでした。そして、それに気づくことによって、自分の人生に強烈な肯定感が生まれました。それは、それまでの自分の人生が素晴らしかったからでもなんでもなく、素晴らしいところもダメなところも含めて、迷いながらも苦しみながらも生きて来たその過程そのものが、魂にとって最も相応しい自己表現をするための道行だったのだと心底わかったからでした。
私の人生の大半は普通の仕事に従事して普通に生きてきました。そして、いよいよ人生の終盤に入ってから急カーブを描くように、思いもしなかったヒーリングの道に入ることになりました。かつての神秘体験も、私が迷わずその道に入れるように、神様が導いてくださったのだろうと思います。
それは、何のためだったのか?
きっと、こうやって皆さんに会うためですよね。皆さんに会うためにはこの方法しかなかったのです。ヒーラーの道を選んだからこそ、今回の地球人生で絶対に出会う必要があったご縁の深い皆さんに出会えました物理学者や医者になっていたらきっと出会えなかったはず。まさに、それが宇宙で決めてきたプランだったのでしょうね。笑
人生、いかに迷ったりしても、結局は多くの選択肢から最初の青写真に見合う道を自分で選択しているのだろうと思います。自分の人生の不幸が他人や社会のせいだと思っている人は今一度「これもまた自分の選択だったのだ」と気づいて欲しい。そして、今一度意識的に「自分で自分の人生を選択するのだ」という気概を持って欲しい。
少なくともそう出来るように、何よりも自分の気持ちを大切に、時には嫌なことを避ける勇気を、そしていつもできるだけ気持ち良い方向に進むという選択が出来るようになって欲しい。
藤井聡太棋士や大谷翔平選手が小さい頃からの夢を叶えて結果を残せているのは、彼らは小さい頃から、誰よりも自分の「好き」という感情を選択できていたからです。
その明快な「好き」という感情が、さらなる上位の明快な「理性・知性」を発動できているからです。
実は私たちも純粋に彼らのような「好き」が追求できれば、同じように純粋な「理性・知性」を発動でき、自分の持つ最大限のパワーを生み出せるはずなのです。誰だって、そこそこは行けるようになってるのです。笑
まあ、彼らの「好き」が時代を象徴するくらいの大きな成果として結実しているのは、彼らの選択には「好き」という思いにプラス、「目的意識」があったから。
彼らは将棋や野球を通じて、将棋のため、野球のため、ひいては日本のため世界のため・・という「お役目」をチョイスしているのでしょう、だからこそさらに波動の高いメンタル層の「理性」を意識的に活用でき、人間の持つ無限の「パワー」を引き出せているのですね。
きっと、それは宇宙にいた時からの彼らの選択だったのでしょう。それこそが彼らが決めた「お役目」だろうから。
もちろん、私たちにも宇宙で決めてきた「お役目」があります。だって、地球は「お役目」で出来ているのだから。だからこそ、「好き」を通じてその「お役目」まで思い出せるように、まずは純粋に「好きなこと」を探しましょう。大人になってから「純粋に好き」を探すのはなかなか難しいけれど、ほんの少しでも「好き」を追求していたら、「大好き」に近づけるかも知れません。「好き」がすでに見つかっている人はますます好きになれるように、まだ見つかっていない人は、ほんの少しでも好きと感じられる方へ。まさに行動あるのみ!
その先にはきっと、自分だけの「お役目」が待っていると思いますしね。
というわけで、続きは次回に