For truth 「真理をたずねて」

ルーエの夙川だより

’自分のことを自分で知る’・・「自知」がモットー。
自分らしく、ありのままに、
言行一致の人生を生き切るために。

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お話会」よりNo.3

「お話会」の続きです。


さて、ここからいよいよ本題に入ります。その前にまずは、人間の本質とは何かというお話から。
皆さんはスピリチュアルな学びを深めておられますし今更ではありますが、ここでもう一度おさらいしておきますね。

人間とは一体どういう存在なのかと聞かれたら、皆さんはなんと答えますか?
例えば、人間は「魂」を肉体に入れてもらって生きている存在であり、その「魂」こそが人間の本質だというも答え方もありますね。人間は神様の一部、神様の分霊ですという答え方もあるかも知れません。
では、神様とは何でしょう?
なんとなくわかってはいるけれど、この問いにハッキリと答えるのはなかなか難しいかも知れませんね。
一体、人間とはいかなる存在なのか?
みんながそこから来た分霊だという大元の神(霊)とは何なのか?

人間が肉体だけではないことは、もはや誰でも理解していますが、ならば?
私が神秘体験で初めて知って愕然としたのは、人間という存在全て、肉体も心も、精神活動も何もかも、個々の人間というものを生み出している大元、本源があるということでした。人間の
背後にあって人間という存在を生み出しているもの・・・それを神だということもできるし、ワンネスということもできるけれど、人間を生み出しているその大元は「たった一つの生命体」「たった一つの大きな意識」だということでした。
しかも、それだけではなくて、宇宙にはその「大元の意識」しか実在していないのだということ。
私はその後の様々な体験や気づきによって、このことを確信するようになったのですが、実は宇宙に存在するのはたった一つのこの「大いなる意識」だけなのです。(←先日読んだ木内鶴彦さんの本で、木内さんはその存在を「膨大な意識体」と書いていました!)

それだけが唯一実在しているもの・・人間という個別の生命や独立した個々の意識があるというのではなくて、ただ一つの「大いなる意識」が個々の生命の中に現れているということ。人間はその大いなる意識を個々の意識の中で顕現するべく生み出された存在だということです。人間は、「大いなる意識」を表現するための「こま」みたいなもの。
というのも、「大いなる意識」は「エネルギー」という状態に過ぎないので、そのままでは有形になりえず物質的な表現をすることができないのですね。個々の人間とは、「大いなる意識」が自分を表現するために次元降下しつつ創造したものなのです。

さらに言えば、その原初の「大いなる意識」とは「光そのもの」「愛そのもの」のエネルギーです。個々の生命体の中に表現されるのも実は、愛そのものだということです。このことを心から頷ける体験、な〜んだ、なるほど〜と心底わかるのが神秘体験なんですね。
神秘体験をした人がよく「宇宙には愛しかない」という表現をしますね。これは、顕在意識ではもちろん、潜在意識のさらにもっと奥にある究極の意識で初めて認識できる真理なのですが、神秘体験に歓喜の感情が付随するのも直に神の愛を感じ取るからに他なりません。

ではなぜ、愛とはとても思えないような出来事が起きるの?ということですが、私はそれは「愛でないものに気づかせるため」だと思っています。宇宙に存在する「愛」でないものは「本当の愛」に気づかせるためのもの、区別するためのもの。「愛ではないもの」を捨て去り、「愛」を選び取ることで、少しでも早く神様の「真実の愛」へと導くためのもの

さて、この「大いなる意識」の原初の姿は全てのものが渾然一体として一つに溶け合っている状態でした。まだ分節されていない意識エネルギーがただただ心地よい状態でぼーっと、そこに「在る」という状態。無でも空でもなく、全てのもので満ちているけれど、全てが溶け合っていて、まだ分節されていない無限に広がりゆく世界・・

その原初の「大きな意識」があるときふと、あれ?俺ってなに?と思ったんですね。そこから「大いなる意識」の次元降下が起きて分節が始まった。「大いなる意識」が
自らの法則に基づいて均等に分割しながら創り出していったのがこのフラクタルな(全体と一部分が相似な図形)宇宙の姿なのです
仏教の曼荼羅は美しいフラクタル構造を持っていると言われますが、「全体と部分は同じであって調和しており、全体の中に部分があり、部分の中に全体がある」・・というように宇宙そのものが同一の全体と部分の繰り返してできているのです。
その原初の「大いなる意識」がワンネス、元は一つという意味。
神様という全体と我々人間という個々の存在は、神様の意識が個々の人間の意識の中で再現されているということ。だから、全ては一つ、みんな繋がっているのです。宇宙全体が一つに繋がっている有機的な生命体なのです。(←私はその様子を空一面に浮かぶ「金色の網目模様」で見せられました。その時に、あ、これは草間彌生さんのカボチャの絵に出てくる網網じゃん!と思ったのですが、もしかしたら、彼女の絵の網目の模様は、有機体として一つに繋がっている宇宙を表現しているのかも知れません)

それにしても、あるときふと、「大いなる意識」が自分を知りたくなった・・なんて、まるで私たち人間とそっくりでしょ。笑
私って誰?なんのために生まれたの?
自分を知りたいと思うのは神様も人間も同じなんです。なんせ、人間は神様だから。
ちなみに、このブログのタイトルを「自分のことを自分で知る」にしているのも、そんな意味合いを込めています。自分を知るということは神を知るということと同じなのです。

もちろん、私たちがたった一つの意識体から分化した個々の意識と言っても、大元の意識体と未だ目覚めていない顕在意識下にある私たちの意識とは、質・スケール共にまさに天地ほどの違い、雲泥の差があることは言うまでもありませんけれど。

というところで、次回は「過去生はある?」「生まれ変わりはある?」。