For truth 「真理をたずねて」

ルーエの夙川だより

’自分のことを自分で知る’・・「自知」がモットー。
自分らしく、ありのままに、
言行一致の人生を生き切るために。

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「お話会」よりNo.4

お話会より。


先に、宇宙における唯一の生命体である「大いなる魂=意識」が自らのエネルギーを降下させつつ分有させたのが個々人の意識なのだというお話をしました。おそらくこのことは文明の初期の頃には誰もがわかっていたのではないかと思います。
なのに、今ここにいる私たちはそのことを思い出せずに未だ迷いの中にいる。
自分が大いなる魂の一部で、自分が大いなる魂と同質なのだということを忘れ果てている。それはなぜか?というお話です。

そもそも、「大いなる魂=意識」はなぜ個々の魂=意識として分化したのか?
それは大いなる魂というのは単なるエネルギー状態に過ぎないからです。愛だけが存在する気持ち良い無限のエネルギーその中に全ての意識を内包しているのだけれど、それを表現することができない、というか表現する必要のない状態・・

たとえば、自分は愛に溢れている人だと思っていても、何もせずじっとしていたらわからないですよね?愛に溢れる行為をしてこそ、それを表現してこそ初めてそうとわかるし、人にもわかってもらえま
す。

光の中で全てが融合している状態は未だ名も体もないただの光です光の状態を分化し意識として名や体を表すには、エネギーの次元を下げて光の密度を濃くし物質化していく必要があります。もちろん、最初から突然物質として分化されたわけではなくて、何回かのフラクタル分裂によるのだと思いますが、その最初期において人間の意識は今よりも大いなる魂=意識とより直接的に繋がっていただろうと思います。

(↑超太古の頃は、人間は天使や神様と会話しながら生活していたというヴィジョンも見たことがあります)

その後人類がいくつかの文明期を繰り返しているうちに、大いなる魂の本質は奥へ奥へと追いやられ、ついにはわからなくなってしまった・・何度も生き直しているうちに、魂の本源を忘れてしまったわけですね。

(↑そう言えば、かつて誘導瞑想を受けていた時のこと。宇宙のある星に降り立ったところ、そこに下半身は人間で頭部が魚や馬の「宇宙人」がいたのでびっくりしたことがあります。彼らの世界には愛に基づく裁判所があって、そこで愛の比率がどのくらい成長したかをジャッジする審判が定期的に行われていました。
また、ある文明期(おそらくレムリア期)には、半分光・半分人間、あるいはぼんやりした光だけという人間もたくさん見ましたから、人類は魂的な進化だけでなく肉体的な進化も経験しているのではないかと思います。もちろん、そうした超古代期の人間は物質レベルよりも次元の高いエネルギー的存在なので、消滅後に地球上に痕跡を遺すことはないだろうと思いますが)

さて、私たちは親元である「大いなる魂」から分かれて遠い旅を始めたのですが、いつかは大いなる魂のところに戻らなければなりません。なぜなら、そここそが魂の故郷であり、永遠の愛の場所であり、幸せを約束された場所だから。分かれたものが再び元に戻るのは宇宙の法則なのです。
そのために、長い長い時間をかける人もいれば、短い時間しかかけない人もいるのですが、帰郷するまでにいろんな星や惑星や銀河系に寄り道することもできるので、私は出来るだけたくさん寄り道するつもり。笑

ところで、「大いなる魂」は愛と調和のエネルギー体なので、そこへ帰るということは愛一元になるということです。つまり、私たちは自分の全てが愛に変わるまで旅をし続けるわけですね。なにせ、元は神さまだから真面目なんです深奥では、自分が元は愛しかなかったと知っているの
ですでも、何度も地球に降りてくるうちに、意識&無意識のうちに愛に基づかない生き方をしてしまうので(地球は感情を学ぶ星)、次の人生でそれを修正しようとするのですね。それがいわゆる「カルマ落とし」。

(↑自分が自分で愛一元になるように修正していくのであって、他人がそれを強制するわけではありません。カルマ落としというと、自分の犯した罪を他人に成敗されるように思っている人がいますが、カルマ落としは自分が犯した間違いを自分が修正する自浄作用です)

その修正のために、死後に地球に再び舞い戻るのが「転生」です。初期の頃なら単純に、Aというカルマを次の人生で落とすということもありえたかも知れませんが、そういうシンプルなカルマ落としはもはや無きに等しく、転生の度にカルマが重なり合ってとても複雑な状態になってきています。それでも、自分が蒔いた原因は自分で刈り取らなければならないというカルマの法則は絶対なので、人間は生まれ変わり死に変わりしながら、自分の魂を浄化しつつ愛一元になるように、時を超え空間を超えて魂を磨き続けていくのですね。

その生まれ変わり死に変わりする姿が「過去生」とか「前世」と言われるものです。
別の言い方をすれば、元々大いなる魂というのは愛一元だったのですから、「転生」とは、愛一元から離れてしまった魂を修復して大いなる魂へ戻るためのいくつかの旅程のようなもの。旅のプランニングをしたのは自分自身です・・カルマ落としにはどんな旅路が最も相応しいか、どんな人と一緒に歩むのか、どんな場所に行くのか・・そのシナリオ自体を自分で考え抜いて構成し、そのシナリオに従って自らが演じた人生が「過去生」であり「前世」。

まあ言ってしまえば、元々は愛しかないのだから、愛だったんだと確認するために、ドラマ仕掛けで遊んでいるようなものと言えるかも知れません。
私ってひどい、いえ、私って愛だ・・その繰り返し。
それを続けていても疲れるから、早くまっさらになって次の遊び場に行きましょうというのが地球圏でのお約束なのです。そうやって地球という遊び場から卒業していった文明や人類がたくさんあったのですよ。
ではその先はどこへいくのかって?
自分で選んだ次の遊び場にいくのです。まだまだ地球での学びが足りないと思う人はまた地球に戻るし、もう地球は遊び尽くしました、もはや愛と調和も十分に知っています、次は別の惑星で別の恒星系で・・と思う人は行く先がいろいろあって、完璧に自分で選択するのです。
実際はもう地球なんか嫌だと思っていても死ぬと地球に対する未練が残っていて、やっぱりまた地球でと思う人もいるし、自分は愛一元になっていなかったという自分の真実に気づき、もう一度戻ろうと思う人もいるのです。
絶対に自分は誤魔化せない。だから、地球にいる時から自分に正直に、少しでも愛一元に近づけるよう努力しないといけないのですよ。

何度もいうように、過去生や未来世は、自分という魂が純粋な愛一元を証明するために自分で筋書きを描いたドラマのようなもの、ましてや自分がそのシナリオを描いたのだから、いつでも筋書きは書き換えることができるのです。もっと楽な方へ、楽しい方へ!

意識が少しづつ拡大してゆき、自分を俯瞰して眺められるくらいに周波数が上昇していけば、魂が描いた全てのシナリオを見通すことができるようになって過去生も思い出せるし、いずれはそのドラマ自体が遊びだったんだと気づく時がくるのです。

というところで、次回に続きます。