For truth 「真理をたずねて」

ルーエの夙川だより

’自分のことを自分で知る’・・「自知」がモットー。
自分らしく、ありのままに、
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「お話会」よりNo.9

※メモ書きを見ながら再現しているのですが、そのメモ自体が過去回とあれこれ重複しているので、お話会当日もきっと同じようなお話になっていたのでしょうねそういうわけで、行きつ戻りつの「お話会」の再録ですが悪しからず

ここからは、2024年2月28日のお話会より。
お話のテーマは「意識と肉体」です。



意識と肉体は別々のもの


さて、この「意識と肉体」というテーマは私にとってライフワークのようなもので、このテーマを解決するためにこの25年間があったとも言えるくらいですが、今日はそういう意味で、私なりに得た結論をお話ししたいと思います。

以前に何度もお話したと思いますが、25年前、私は頭が真っ二つに割れて漆黒の宇宙に真っ直ぐに繋がったという体感したことがありました。すこーーんと割れた頭上からエネルギーがコンコンと流れ入ってくるという神秘体験をしたあと、「あ、私は意識なんだ!」と忽然と分かったことがありました。
身体と魂は別々のものなのだ!という、まさに強烈な実感です。

今思ったり考えたりしているのが自分。その自分とこの肉体とは全く別ものなんだという衝撃的な感覚でした。みなさんはすでにご存知のことだと思いますが、この意識と肉体とは別々なんだとわかる体験は強烈なものです。しかも、それまで霊的なことに全く興味がなかったチョー現実的な私としては尚更の衝撃でした。
まさに、知っているということと、それを体感するというのは天と地ほど違います。もう、そうでしかなありえないという確信を、頭ではなくて自分全体で丸ごとわかってしまうという感覚です。
それ以来、頭はギンギンガンガン、それまでと全く違う異常な知覚を持て余す状態で暮らしていたのですが、ある時に、さらに、自分が「意識を持った目玉二つだけの存在」という感覚になったことがありました。考えたり思ったりしているのは実は「両目二つ」という奇妙な感覚。その目玉は確かに、肉体の目の窪みのところにあるのですが、これまでの眼ではなく、意識や意思を持った目玉でした。
身体の方は頭の部分を切り抜いただけの麻袋のような衣服を纏っている状態です。
目玉二つだけが実際に世の中を見ていて、その目玉は三百六十度の視野をもっている・・山のてっぺんの樹木や土の中の小さな虫まで透き通るように見えました。
その目玉と体もまた完全に別々の存在。身体の目の窪みの部分に、大きな目玉がぴょこんと乗っかっている感覚です。(漫画の鬼太郎の目玉おやじみたいに)
その目玉が完全に自分の主人公なんです。もしかしたら、体もコントロールしていたかも知れません。その目玉は、それまで使ってきた脳ではなく、ぱかんと割れて新しくなった脳全体であって、目でもあるという感じ。

そこから2年間ほどいろんな不思議体験を繰り返しながら、たくさん学びつつ、人間という存在に色々気付かされたのですが、その後25年間にわたって私が積み重ねてきたことを今日はお話したいと思います。

私たちは普段「魂」(=意識)と言う表現で、肉体を乗り物にしている実体のことを表現していますが、実はその魂よりもさらに大きな魂、それをスピリットとも言いますが、大元の大きな魂に繋がる個人レベルの魂(真の意識)があります。
私は神秘体験で、本当の大きな私は神さま(創造主・宇宙)の一部、全てのものを生み出した最初の大元の意識が親で、私の意識はその子供、ということを知ったと言うことです。

さて、ここまで、意識、意識と言ってきましたが、心理学的に説明すると、意識には、
*顕在意識・・論理的な思考、理性、知性、言葉にできる意識。
*潜在意識・・無意識とも言いますが、
感情や本能的欲求、普段は自覚していない意識。
自律神経を機能させている意識、古い脳とか哺乳類脳とも言います。

*そのまた奥の深い意識にある「集合的無意識」・・社会集団や人類に共通する無意識のこと。
などがありますが、
私が今お話ししている「意識」は、「集合的無意識」のさらに深奥にある「無意識」・・普段は「自覚できない意識」のことです。

宇宙の全てが動き始める原初の状態は「無限のエネルギーがただあるだけ」という状態でしたね。その状態がある時、「あれ?俺って誰?なに?」と思ったのでしょうね。
これが最初の意識。神と言ってもいい、宇宙、創造主、ワンネス・・いろんな言い方ができますが、それが最初の大きな意識です。

その意識が「意図」する、つまり、ある目的を持って動き始めることで、エネルギーを凝縮・圧縮させて形ある何かを生み出し続けていくわけです(凝縮させるということは、次元を落とすということ)

無限のエネルギーは無限のままでは、いつまで経っても無限のままで、有限になりません。
無限のままでは、方向性を持てず、形ある何かを生み出すことが出来ません。
で、神というか創造主というか、原初の意識がエネルギーを収縮させつつ幾つもの有限である「意識」を生み出していったわけです。
そして、その「有限なるもの」に、無限なる「創造主」の顕現を託した。

もう一度言うと、私たちの意識はたった一つだった大きな意識が分化した個的な意識。それを神道では人間は神様の分霊・わけみたまと表現していますね。その意識というのを魂と言い換えてもいいのですが、私たちは大いなるたった一つの意識の一部であり、そのわけみたまとしての意識を「魂」と表現することもできます。

そういう私たちが、今や自分の本来の姿である原初の大きな意識に向かって戻り始めています。なぜか?それはパンツのゴム紐に例えれば、人類は大元の意識から遥かに離れる旅を続けてきたのですが、そろそろパンツのゴム紐も伸び切って、これ以上隔たれば紐が切れてしまうという(もう戻れなくなる)ところまで来てしまったので、創造主がそのゴム紐を収斂させ縮め始めたからです。
もう、戻るしかないのです。親元を離れて延々と自由にしてきた旅でしたが、今度は親元に帰る旅を始めたのです。

これらは宇宙レベル、銀河レベル、恒星系・惑星系レベルで起きていることなのですが、創造主の元から旅立った全ての存在物が、帰り支度を始めた。。ということは、全ての存在物が次元を変えてさらに高次・・高いレベルで存在するようになっていくということです。
創造主は無限の光です。無限で超高次のエネルギーです。創造主の元に戻るということは私たちが次元を高次レベルにシフトしていくということです。
実はワクワクする旅なのです。

さあ、それではこの魂を地球で生かしめてくれている肉体とは何か?というお話に移ります。

以下は次回へ。