For truth 「真理をたずねて」

ルーエの伝言

Life together人生を共に

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いろんな意味で。

昨日、大阪大学の坂口志文さんが今年のノーベル生理学・医学賞を受賞されたという嬉しいニュースが飛び込んできました。研究テーマは「免疫学」だそうですが、免疫と言えば、私にとってまずは多田富雄さん。坂口さんも自分が影響を受けた人物として多田さんをあげておられましたね。
多田さんは1993年に「免疫の意味論」という本で大佛次郎賞を受賞された方ですが、多田さんは当時、世界でも指折りの第一線の免疫学者で知られていたにもかかわらず、生理学や医学の分野の賞でなく文芸の賞である大佛次郎賞を受賞されたと言うのでかなり話題になりました。私はその当時作家の五木寛之さんの講演会の仕事をしていたのですが、五木さんが講演のテーマに「免疫」を選ばれ、多田さんのご紹介を始め画期的なお話をされるので、仕事を忘れて聞き入った覚えがあります。もう30年くらい前の話ですが。

『デカルト以来発展し続けてきた科学は、「意味」を追求するのではなく、「プロセス」を追求することだけを科学的であるとして進んできた。科学は意味を問わないと言うのが科学の常識であってルールだった。ところが多田さんが書いた本は、なぜ?を問う、それはいわば宗教の領域であり神の領域でもある、そういうところまで科学というものは侵入、越境してきたということ』・・講演会の書き起こしを読み返しながら、五木さんが熱っぽく語っておられた文脈を今でもはっきりと思い出すことができます。

そう言えば、ノーベル賞を受賞された坂口さんの愛読書も哲学の本だそうですね。つまりは、科学も哲学も同じ視座にあった本来の「哲学」が復興しつつあるということでもあります。元はと言えば、切り離せない分野でもあるということ。

『私たちは科学が教え導いてきたように、なんでも合理的な方がいい、経済的な方がいい、物事全てを数字で置き換え効率で判断する・・そんなのに慣れてしまっているけれど、人間というものは、そういうものではなくてもっと混沌としたものだし、数字で単純に捉えられるようなものじゃない』

五木さんのお話は、白か黒かを単純明確に分けたがる現代の風潮に対する異議でもありましたが、それ以来30年経った今、ますますそういう風潮に傾いてきているように思えます。昨今の状況がその頃よりさらに悪化してしまったように見えるのは、そもそも、「自己」についての考え方があやふやになってしまっているからのような気がします。

というのも、「免疫」の働きは外から入ってきたものを排除するということですが、排除できるのは、異分子であるかどうかを判断する働きを持っているからということでもありますね。免疫は「自己」というのものをはっきりとわかっているから、「自己」ではない異分子を排除することができるということ

少し強引にすぎるかも知れませんが、これを現代の世情に置き換えて考えてみることもできそうです。
「多様性」だの「共生」だのという観点から移民問題にスポットが当たり、その是非が問われている昨今ですが、この問題は軽々には論じられない大きなテーマであるということ。自分が日本人であり、自分が何を大事にする人なのか理解していない限り、「他なるもの」を受け入れるも受け入れないも本当は
論じることが出来ないのだということ。
何をして「多様性」といい、「共に」と言えるのか・・それは「差別」
ではなく、ちゃんと「区別」できて始めて議論できるのではないかということですね。

「免疫」という言葉が表現しているのは単に肉体の細胞レベルのことだけじゃないんだよ〜、突き詰めていけば、自己を知り、自己を大事にしようね〜ということにも繋がることなんだよ
ということですが、今の時代に、免疫学でノーベル賞を取ったのが日本人であり、その人は、不遇の時も経験しながら、それでも自分の信じる道を忍耐強くひたすら歩き続けた人だったということの意味は、「深い!」としか言いようがありません。

最後に、坂口さんと多田さんの共通点は、お互いに文学や音楽に造詣が深く、奥さんがどちらも医師で協力者ってところですが、それもまた、すごいですよね

追記:
今、ブログを書いていたら、ノーベル化学賞をまたまた日本人が受賞したという速報!
ヒャッホー素晴らしいっ〜〜