
今朝、目の前で咲き誇る春の花たちを眺めていたら、ふと、「かなしくなるくらいに、うつくしい」と言う言葉が心に浮かびました。
「かなしい」と言っても、それは、もちろん、「悲しい」でも、「哀しい」でもない、もう一つの繊細で美しい言葉・・
愛(かな)しい
「心が痛んで辛くて胸が張り裂けそうな気持ち」・・それは「悲しい」だし、
「なんともあわれで切なく、じわじわ染み入るような無常感さえ含んだ気持ち」・・それは「哀しい」だけど、
日本語にはもう一つ、「かなしい」という言葉の中に、感情を昇華させた、
「切なくなるほど可愛いと思う、愛おしい、守りたくなるという気持ち」を表す言葉があります。
それが「愛(かな)しい」。
以前のブログに、「言霊の中から、ひらがなを呼び出している私」という夢見の話を書きましたが、こうした言葉自体がまさに、日本語の持つ霊性そのものなんですよ。
言葉は音(周波数)ですが、「かなしい」というその一つの音の中に、痛みから愛へと変容させる、感情の昇華のプロセスも含んでいるのが日本語の特徴なのです。
私は常々皆さんに、地球は「感情」を学びにくる星だとお伝えして来ましたね。
地球が「感情の星」ならば、日本という場は、その感情を分析・解像度を増して極限まで高めうる国と言っていいかも知れません。
それはなぜか?
八百万の神を崇め、人間も自然の一部だと思い、全ての存在と感情を共有できるという日本人の特性は、限りなく「ワンネス」に近い感情で、宇宙に存在するすべてのものと調和して生きるために必須な魂の性質なのです。日本に住まうということ、日本人として生まれるということはそういうこと。
「霊統」という意味の一つは「魂が持つ性質(周波数の傾向)のこと」ですが、そういう意味で言えば、「日本の霊統」は、感情を極限まで昇華し表現する日本語の中にこそ、その真髄を潜ませていると言っても過言ではないかも知れません。
霊統の「統」には、多くのものをまとめて管理する・つながるという意味が含まれています。先人たちが長きにわたって心(霊)を一つに、育み繋いできた精神が込められた「言葉=音(周波数)」の意味を知るとともに、その中で恵まれて生きる自分という存在を今こそもっともっと大事にしたい。
ゆめゆめ、小学校で英語教育を。。などと言ってる場合ではないのですよ。笑