For truth 「真理をたずねて」

ルーエの夙川だより

’自分のことを自分で知る’・・「自知」がモットー。
自分らしく、ありのままに、
言行一致の人生を生き切るために。

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足るを知る。

サクラと椅子 サクラと椅子2寝たり起きたり…

の行動は、基本、「はぁ〜よい気持ち〜」しかないみたいですね。
最近のサクラは、庭の椅子の上で終日ゆったりのんびりしています。たまに、小鳥の声やそよ風に起き上がったりはするけれど、椅子の上に木陰が出来ていればそこに居るし、日差しが強くなると椅子を降りて日陰に移動するし…きっと、な〜んも考えていないよね。気持ちよい方を選択するだけ。
お腹がすけば、仕方なく家に戻ってくるし、トイレに行きたくなればギリギリまで粘って帰って来るけれど、お腹を充たすよりも何よりも自由が一番みたい。ときに野生の本能そのままに小鳥や蝶を追いかけたりはするけれど、のんびりゆったりしている時のサクラはとても幸せそうです。

そんなサクラを眺めながら、時々思うのです。猫に比べたら、人間って不自由な生き物だなあと。
な〜にも考えなかったり、な〜にもしないで居ることに、一体どのくらい耐えられるだろう…かと。
食べることと排泄すること、そのために必要な経済活動だけすればいいとしても、体を維持出来るだけしか食べない、それに相応しいだけの働き方しかしない…では、きっと満足できない。ときには、必要以上に食べたいし、出来ることなら衣住も、より良い物を手にしたい…考えたり悩んだりは何も無い方が一番、と言いつつ、考えることや悩みが何も無ければ、探しまわってしまうかも知れない…人間にとっては、何かをやることが成長だという思い込みがありますしね。

ある意味、「目覚め」とは、生きていることの必然に心からうなずくことで、心の底から、な〜るほど、そうゆうことだったのかあ〜と腑に落ちるという体験なのだけど、そのためには、必要以上に求めるという人間の習性から自由にならなくてはならない。それは、どちらが良い悪いという判断の問題ではなく、持つこともいいし持たないこともいい、満ちることもいいし満ち足りないこともいい、自分にとってそれが必然なのならどちらでも構わない、という自分だけの充足感が持てること…まさに「足るを知る」こと。

ならば、生まれ落ちたときから、知足で生きている猫が人間よりも偉いのかというとそんなことはないはず。猫は生まれたときから、そうできる。人間は、たくさんの煩悩を持って生まれてきて、その煩悩を削ぎ落としながら、最終的には猫のように生きることさえ出来る…その、削ぎ落とす間の勉強が猫には経験できないのだから、たぶん、その差は大きいのだと思う。

そう思えば、いま、そうであるという現実を肯定しながら生きられればいいということでしょうね。
現実とは、自分の周りを行き過ぎる、ただの出来事。その出来事が心地よくないものなら変えればいいし、心地よいものなら休らえば良い。人生って、いたってシンプルなのです。
人はひと、私はわたし。
同じ現実が同じように幸せとも限らないし、不幸とも限らない。心地よいと感じることをチョイスすることは、生ある存在にとって基本的な本能なのだから、自分だけの心地よいチョイスをし、そのチョイスに自信を持つこと。そして、チョイスしたら、それがさらに心地よいものとなるよう努力すればいいのです。努力こそ、人間に与えられた素晴らしい能力なのだから。
猫にはたぶん、努力は出来ない…

いや、もしかして、努力してる?
サクラはイヤイヤながらも、たまには私の言う事を聞くなあ〜

まだだよ 仕方がないな
サクラ〜そろそろ帰っておいで〜!      仕様がないなあ
イヤだにゃん〜               帰るかニャ