最近ますます頭が空っぽになったような状態で暮らしていますなにも考えていないし、感じてさえいないし、ある出来事が起きて初めて、それに対する「反応」だけが起きる感じ。お客様と対面している時が私にとって実感のある「現実」かな
ここしばらくは眠れない夜も過ごしています。でも、それが嫌なわけではありません。眠れない夜の次の夜は大抵眠れるし、もし眠れなければその次の夜まで待てばいいし。その次の夜も眠れなければ、疲れ果てて眠れるまで待てばいいしネ
こういう状況下だと、微細なエネルギー変化をさらに敏感に感じとれたりします。空間に飛び交っている「光」や「色」もよく見えるし、部屋の植物やのサクラのその日の感情の状態も手に取るようにわかります。なので、それに即対応。植物に水をあげたり、サクラをわざと放っておいてあげたり、、、
全てが淡々、平穏、、そういう私なので、自らモチベーションが湧くわけでもなく、主人や周りの人のおかげでようやくいろんな経験が出来ています。
一昨日は主人に誘われて、京都・今宮神社の「やすらい祭」に行ってきました。紫野で生まれ育った主人にとって、「やすらい祭」は昔懐かしい地元のお祭り。「祇園祭」も大好きらしく、毎年誘われますが、特に「やすらい祭」は、子供の頃の春の暮らしの大事な一部だったらしく、格別に懐かしい様子です。「子供の頃は、あの鬼の感じが怖くてねえ」「あの傘の中に入れてもらうと、一年中無病息災なんだよ」、、祭り当日までに、いろいろな話を聞かされつつ、当日を迎えました。
今宮神社は京の悪疫と災厄封じを祈願して創建された古社ですが、「やすらい祭」は、花傘を先頭に、カネや太鼓をたたき、踊りながら氏子区域を練り歩きつつ疫病を納めるというお祭り。お囃子を小学生の子供たち、鬼の役を中学生や高校生たちが担っています。氏子区域には昔ながらの風情溢れる家々が残っているので、それを眺めるのも楽しみの一つ。
お祭りまでには時間があったので、近くの大徳寺を散策したり、久々の京都をゆっくりと楽しみました。
まずは、近くの大徳寺へ。といっても、お寺よりも周辺の緑の方がお目当て。
祭りの一行は、氏子の家々の前で踊り回りながら、今宮神社へ向かいます。
この花傘の中に入れてもらえば、一年中病気知らず! 子供の頃はこの鬼たちが怖かったらしい。
最後の締めは五百年前に一休さんが名付けたという精進料理の「一久」へ。実に誠に美味でした!!
清々しい京都を堪能した一日でしたが、この日はまた一段とエネルギーが動き回っていた気がします