最近お客様からいろんなブログを紹介され、それについてどう思うかと意見を聞かれることがよくあります。その場で読んだり後で読んだりする中で、なるほどな〜と思うブログもあれば、そうかも知れないけどそうではないかも知れないと思うものもあって多種多様です。
心や体や霊性についてその方なりの考え方とかを書いてあるブログは、自分の感覚に合うかどうかで判断すれば良いのですが、日本の歴史や時事解説のようなブログになると、どう読めばいいのかわからなくなるものも多いように思います。日本の建国の歴史が、あるいは天皇制が、などと書いてあっても、もはや確かめようのない情報が多く含まれていますし、もしそれが本当だったら、教えられ信じてきた日本の歴史が根底からひっくり返りそうな情報も含まれているので、読む側のスタンスの取り方がとても重要になってきます。
私は情報記事をあまり読まない方ですが、読むときにはそれが気持ち良いかどうかで判断するので、嫌なニュースはすぐにスルーします。それが真実なのか否かと判断を要するような情報に接する時は、そうなって欲しいか否かという視点で読みます。
となれば、ほとんどの情報の選択が心地よいか悪いかの一点になってきますね。
「情報リテラシー」という言葉がありますが、「情報リテラシー」とは「情報を主体的に選択、収集、活用、編集、発信する能力」(wikipedia)ということです。
ここで最も大事なのが「主体的に選択、、、」という部分。
「主体的」という言葉は、自分の意志・判断に基づいて行動することを言いますが、すべての情報は、自分自身がそれをどう判断するか、どう受け取るかなのだろうと思います。
「自分の意識が現実を創造している」と言われるのは、このことでもあります。
あなたが読んでいるその記事を、あなたは主体的に読んでいますか?情報を鵜呑みにしないで、それについて、自分はどう思うのかどう感じるのか気にしていますか?
例えば大前提として、私は日本の国がより良い方向に進むことだけを願っています。日本は世界に誇れる素晴らしい歴史を持ち、四季豊かな自然に守られ、いろんな宗教を受容できる多様性豊かな国民性を持ち、荒々しい喜怒哀楽を客観的に処理できて、世界にも類を見ないほど戦いが少なく、基本的には権力欲や支配欲で国民がコントロールされることの少ない素晴らしい国だと思っています。
なので、記事を読む時は、その日本がもっと良くなるために書いてあるか?がとても大事です。そのことをわからせるために、脅してきたり強制されるのもパスです。(脅されなくてもわかるもん、と言いたくなるから)それは決して心地よいことではないから
もちろん、国民の優越性のみを語っているものは、劣等感の裏返しですからパスしますし、良いも悪いもない、ただ、「そういうあり方を選択し尊重している国」なのだというのがベースです。
直近の不幸な戦争で愛国心や誇りを失って久しい日本ですから、自虐志向になるのもわかりますが、よくよく考えてみたらわかります。もっと良くするためにやるべきことはごまんとありますが、これ以上悪くならないようにするために、まずは自信を持つこと、自分にも自分の国にも誇りを取り戻すことだと心底思います。