For truth 「真理をたずねて」

ルーエの夙川だより

’自分のことを自分で知る’・・「自知」がモットー。
自分らしく、ありのままに、
言行一致の人生を生き切るために。

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そこには何も実りはないと知るのも「実り」。

ちょっとおさらい。
先日5月5日の「新月の光の集い」で、面白いメーッセージがありました。

もはや、そこには何も実りはないと知るのも、大きな「実り」。。

   何となくの「違和感」から始まって、
   「わずかな齟齬(そご)」から「不都合」に至り、
   ついには完全なる「不一致」に至って、初めて気づくのが人間。。。

最初は、な〜んか、違うよなあという違和感から始まりますが、
それがだんだん「行き違い」「食い違い」になって、うまく進まないようになり、
どんどん「都合が悪い状態」「差し障り」が出てくるようになって、
そこでようやく、「ダメだあ〜」と気づく。それが人間だと

「ここには何も私の期待する実りはなさそうだな」といち早く気づくためには、
最初のこの「違和感」が最も大事なのだそうです

「違和感」を大事にして、もし、「違和感」を感じたら、ちょっと引いてみる、
ちょっと一休みしてみる、ちょっとシフトしてみる、、、いろいろなやり方がありますが、
最もやってはいけないことが「違和感があるのに無理に」とか、「違和感に目をつぶって、先を急ぐ」ことだとか。

実際は、誰もが、この違和感には気づくはずなのですよね。「違和感」とは、そのことが、自分の気持ちに沿っていないと自分自身で感じとっているということ。
この「違和感」という精妙な心の動きに気付けるか、それを大事にできるかどうか。それがとても大事なのです。
自分にとってそれは、「気持ちいいことか悪いことか」「ざわざわと気持ちが乱れることか」「落ち着いて心地よいことか」と、
いつも「今、ここ」を大事にしながら、自分自身に100%集中していればきっと「わかる」はずのこと。
その上で違和感のある方向へ進まなければ、効率良くピンポイントで、「実り」の方へ向えるのですね。

それが病気をも回避できる「秘法」でもあると教えられたのですが、
でもまあ、「遠回り」も許されるのが人生、
人間の自由意志を尊重する宇宙の計らいだしなあ〜
(と思った途端に、それほど悠長なことを言える時期ではないぞ
 またまたメッセージ
しばらくの間は、この「違和感」についてお伝えする必要がありそうです

確かに、そうっすニャ〜