For truth 「真理をたずねて」

ルーエの夙川だより

’自分のことを自分で知る’・・「自知」がモットー。
自分らしく、ありのままに、
言行一致の人生を生き切るために。

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愛するとは、「ありのままを丸ごと受け入れること」。

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ここ数ヶ月腎臓を悪くしていた実家のニャンコが今朝早く旅立ちました。余命宣告を受けてからのこの一週間ほど、89歳の母はオロオロ泣いてばかりで、逐一猫の状態を報告してきていました。
母はか細い声で鳴き続ける猫を見ているのが辛いらしく、「見ていたくない」「変わってあげたい」と泣くばかり。時間を見つけては遠隔でエネルギーを送りながら、電話やメールを通して、「目をそらさないでしっかり見ていてあげて!」と励まし続けているうちに、母も徐々に落ち着いて行きました。
私も、いつも実家を訪れる度に、母と仲良くしてくれていた猫の様子を思い出してはもらい泣きを繰り返しましたが、この間教えられることがたくさんありました。

病猫からも様々なたくさんの思いが伝わって来ましたが、ある時、猫から「鳴くのは苦しいからではなくて、不安だから」「寂しいから」という気持ちが伝わってきたので、「お母さん、ミイは苦しいわけではないようだから、お母さんが不安がらないで、寄り添って優しく撫でてあげて!言葉もかけてあげて!」と伝えました。
すると、アドバイス通りにし始めたその時から、両者の間にとても穏やかな時間が流れるようになりました。母も、猫が苦しがっているわけではなさそうだと聞いて、それならしっかりと見て寄り添ってあげようという強い気持ちになってくれましたし、おかげで猫も母の深刻な言葉を気にすることなく、ゆっくりと穏やかな死を受け入れる方向へ進んでくれるようになりました。

そのミイは私にも多くのことを教えてくれました。
母がミイにどうしてあげればいいんだろう?と聞いてきたので、ただ愛してあげればいいのよと答えようとして、ふと、愛するってどういうことだろう?と自問した時のこと、
どこからか、降りてきた言葉がありました。

「病気である猫をそのまんま受け入れること。かわいそうではなくて、代わってあげたいでもなく、死んでいく猫をそのまま受け入れること。」…そこでハッと気付きました。
死を選び死にゆく猫に、死ぬなということは、真の愛ではないのだ…

ミイも「ママは私が鳴くと、苦しんでいるのだと思って、自分が代わってあげたいと泣くけれど、そうじゃないの…私はママにお礼を言いたいのだから、私をちゃんと見ていてほしい」と伝えてきたっけ。

本当に、そうでしたね。
そのまんま、ありのまんまを受け入れてこそ、愛。
病気でなければ、長生きしてくれれば…それもこれも、ミイの今を否定しているのでした。

母からの今朝のメールで、母が愛そのもので、ミイに最後の最後まで付き合ってくれていた様子が伝わってきて、またまた私は泣きました
死とは隣町に行くようなもの…とわかってはいるけれど、別れはやはり辛いものですね。

IMG_7548              元は野良猫のミイ。散歩もいつも母と一緒でした。

      

     今朝6時じゅうご(15)分にミイが息を引き取りました。
     あたしが呼ぶ声に、二度返事をして、大きなくしゃみをして最後でした。
     最後の最後まで見てやれて、少しはよかったかな…     
                                 母より