For truth 「真理をたずねて」

ルーエの夙川だより

’自分のことを自分で知る’・・「自知」がモットー。
自分らしく、ありのままに、
言行一致の人生を生き切るために。

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「知っている」と「やっている」の差は大きい。

あまりに暑いと、何もしたくなくなりますね何も考えられないくらいに、暑い!
でも、今日はどうしても書きたいことがあるので、一念発起
先日、初めてのお客様に
「私はスピリチュアルな知識があまりないのですが、友人に、早く目覚めないと取り残されるよと言われて気になっています。どういう勉強を始めたら良いのでしょうか?」と質問されました。
トネリコ仲間の中にも、自分の主人はスピリチュアルなことに全く関心がないのだけれど、一緒に新しい地球に行く事が出来るのでしょうか?などと、似たようなご質問が続いています。最近、ネットや本で「目覚め」や「新しい地球」について色々なことが語られているので、その影響もあるのでしょう。気がせくように質問される方もあるので私なりの考え方を書いておきたいと思います。

ここで問題になっている「目覚め」とは、私達は誰一人違うことなく、いわゆる「創造主」に本源を持っている素晴らしい存在であることに「気づく」ということです。それがある方の言葉を借りれば、「みんな誰もが神様だった」というフレーズになるわけですが、確かに私達は「ワンネス」とも「大いなるすべてのもの」「神」とも語られる「宇宙の根源」からやってきた唯一無二の存在です。誰が欠けたとしても全体(ワンネス)が完成しない掛け替えのない存在。いわゆる「ワンネス」と私たちとは「全体と個」という関係性です。
そのことを単に理解するというのでなく「体感的に識ること」を「目覚め」と言います。
そして、最も大事なのが、その目覚めの体験は「無条件の愛」の覚知を伴うものであるということです。
なぜなら「ワンネス」「宇宙の根源」には「愛」しかないので、目覚めるということは、全てが愛であり
、自分もまた愛そのものだったのだと確信的に識ることでもあります。

ということは、普段から「愛」に基づいて生きていて他人を傷つけることのない人は、すでに目覚めている人ですし、何も神とかスピとか特別に意識することがないけれど、いつも明るくニコニコして、屈託なくあっけらかんと生きている人は最初から目覚めている人だと言ってもいいでしょう。
もちろん、スピリチュアルな情報も学んでいていつも愛に基づいて生きており「きっとよくなる!」と宇宙の采配を信じながら、自利利他の精神で生きている人はすでに目覚めて次元上昇している人だと言えるでしょう。
そして、私が理解するもっともステージが進んでいる人は、人間は宇宙の根源(神)から、この現象界に、「神」の生命エネルギーをカタチとして顕現するためにやって来たと識っていて、実際にそのように現実を生きている人、「神の愛」をこの地球上で創造している人だと思います。

反対に、目覚めから離れている人とは、他人とよく衝突したり自分がうまくいかないことを誰かのせいにしたりする人、誰かがスピリチュアルな情報を知らないからと言って一段下に置いたり、情報だけは十分知っていてもそれがただの知識になっていて、実生活はそのように生きられていない人、自分が知識を持っているだけで目覚めていると勘違いしている人もそうでしょう。一言で表現すれば、「愛と調和」から遠い人のことですね。
宇宙の根源のエネルギーは「愛と調和」だけですから、愛と調和から遠ざかっている人は、たとえスピ系が好きな人でも「目覚め」からは遠いと言えるでしょう。

もちろん、私たちは人間ですから、目覚めきっている人でない限り、いつもいつも愛と調和で生きられる訳ではありません。時には不安や不調和を抱え込んでしまうこともあるでしょう。でも、少なくとも、自分の魂が宇宙の大元に本源を持つと識っていて、それを信じようとし、愛に基づいて生きようと努力する人は、目覚めへの確実なステップを上っているに違いありません。
ですから、「きっと大丈夫!」「絶対に良くなるに決まってる!」と、全てを宇宙の根源にお任せして、「愛に基づいて生きている限り不幸になるはずがない!」と信じ切って、お互いに前へ前へと進みたいものですね〜♪


二日に一度、日が暮れる前に畑に水やりに行っています。今日の収穫はちょっと少なめです〜