For truth 「真理をたずねて」

ルーエの夙川だより

’自分のことを自分で知る’・・「自知」がモットー。
自分らしく、ありのままに、
言行一致の人生を生き切るために。

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想像は創造。

あまりに悲惨で、もう見たくないレベルに入った戦争のニュースですが、主人がウオッチしていたテレビから、ウクライナの若い女性が、ロシアに住む母親が「ロシアは戦争などしていない、ウクライナがロシアに攻めてきた」と言って、自分の言うことを信じてくれないと泣きながら話している様子が流れてきました。先日、トネリコ仲間からも、ロシアでは今、受け取る情報の違いによって、若者と親世代間で断絶が激しくなっているという話も・・
大昔の情報統制しやすい時代ならいざ知らず、現代でさえ、共通認識されていると思っている出来事が真逆に理解されていることに驚きを覚えます

これらはちょっと極端な例ではありますが、ことほど左様に「現実」の認識の仕方は人によってさまざま、同一ではないということです。人間は自分が信じたい情報を受け取る、信じるとも言えるし、与えられる情報を個々に選別しながら受け取って自分らしく再構成しているのだとも言えます。
つまりは、“一点の曇りもない全く正しい唯一の情報”・・というものは無いのだということを今一度ここでおさらいした上で、ここからいつものお話に進みましょう。

さて、人は「同じ色」でさえ別々の色を見ている可能性があります。
ゲーテは「色彩は単なる主観でもなく、客観でもなく、人間の眼の感覚と自然たる光の共同作業によって生成するもの」と言っていますが、その眼の感覚は文化や歴史の異なる人種によっても違いますし眼の色によっても違う、自然界における太陽の光の具合(赤道に近いとか遠いとか、日照時間の長短)によっても色の感じ取り方は異なっています。
「色の正体は光」ということを発見したのはニュートンですが、色とは元来様々な波長の電磁波であって、色という実際の存在があるわけではないのです。


虹の色は日本では7色ですが、アメリカ・イギリスでは6色、ロシアでは4色なのだそうですね♪

私はかつて神秘体験をした時、これまで黒や緑だと思っていた色があまりに違って見えるのでびっくりしたことがあります。体験後の黒や緑色は光に溢れ、実に多彩。同じ色にも多くのバリエーションがあることを知りました。おそらく今、私に見えている色は皆さんが見ている色とは少し違うかも。体験前後の私の視覚はまるで別人レベルに変化しましたから。

というふうに、同じ色でさえ、人によっては違って見えるということを前提にして、「本当は人それぞれにとって、現象化している世界は同一ではない」という理由はご理解いただけるでしょうか。その上でさらに量子力学的に踏み込めば、「現実は自分の意識波動(エネルギー)が生み出している固有の世界」なのです。「本当は、人それぞれにとって、現象化している世界は同一ではない」・・かつて私はこの言葉に出会って初めて救われる思いがしましたが、言い換えれば、現実とは、「自分が選んで受け入れた情報によって組み立てた、自分が信じている世界」ということなのですね。
だからこそ、それを信じない人にとっては偽りの世界にもなり得る・・

ということですが、それでは、「現実」を与えられた情報によって画一的に作り上げるのではなく、自分が好きなように全く新しく作り上げる方法についてです

もう20数年前だったと思いますが、アメリカの大学教授が「脳がある画像を想像する時に生じる視覚心像は、網膜からの本物の画像を脳が処理する場合と同様に働く」という研究論文を発表しました。難しい言葉ですが、平たく言えば、「直接目で見た視覚像と頭に思い描いたヴィジョン(夢、幻想)を脳は区別できない」ということです。

Seeing is believing・・「百聞は一見にしかず」と訳されることが多い言葉ですが、この場合は、「想像したことでも、脳の中では実現されているのと同じ」という意味です。
脳の中ではすでに実現されていることだとしたら、次にはどういうことが起きるのか?
それが現実でまだ達成できていないことだった場合、脳内に不満が残り、それが無意識の原動力になって実際に実現へと向かわせるのだそうですよ。
つまりは、想像→創造へ

人間って、不思議な生き物ですよね。でも、神に似せて作られという聖書通りに、神の如き奇跡を創造できる存在なのではないでしょうか。まだあなたが現実を自分らしく創造できていないとすれば、それはもしかしたら、あなたの「想像力」が足りないということかも。

というわけで、いろいろと脱線しすぎて、とりとめない話になってしまいましたが、このままUPしておきます