For truth 「真理をたずねて」

ルーエの夙川だより

’自分のことを自分で知る’・・「自知」がモットー。
自分らしく、ありのままに、
言行一致の人生を生き切るために。

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見たいものだけ、見ている。


つい先ほどまでお客様がアチューンメント瞑想されてた椅子の下で、今度はサクラが瞑想中・・

セッションが終わったことがどうしてわかるのか、お客様が帰られた途端に、2階から降りてくるサクラ真っ直ぐにセッション用の椅子の下に行き、ウトウトし始めます。エネルギーの余韻が心地よいのか?誠に正直、素直な感性に驚きます♪


サロンの狭い庭で。クリスマスローズの花もそろそろ終わりです。また来年ね!

今日の昼間は本格的な雨になりました。桜の花も散りゆき葉桜が美しい時期、道端はもちろん、サロンの庭や部屋の観葉植物たちも萌え始めた若葉を輝かせてとても綺麗です。眺めているだけで癒されますが、実は私、昔は春が苦手でした。花粉症だし、春になるということは猛暑の夏が近いということだし・・なのに、今は春が大好きです。いえ、夏を除いて冬も秋も、変わりゆく季節が大好きになりました。
それはきっと、しっかりと季節そのものを「見て」いるから昔は「春という季節」と、記憶の中の「その季節になると自分の身に起きるであろう嬉しくない出来事」をセットにして春を眺めたり感じたりしていたように思います。

「見る」と言えば、ちょっと現実的なお話になりますが、実は我が家の主人、白内障で左目を先週、右目を昨日と2回にわたって手術しました。この間私も手術や検診などに付き合わされてなかなか忙しい日々なのですが、いろんな気づきがあって面白がってもいます。
彼は今、濁った水晶体を取り除き人工のレンズに入れ替えたおかげで、世の中がすごく明るく見えるようになったらしいです。まだ回復途上で、時間が経てばもっと見えるようになるそうですが、すでに「世の中はこんなに明るかったんかあ」と驚いています。

「うん、そうだよ実は、世の中はとっても明るいんだよ」と、心の中で呟く私。。。

肉体人間の目は、たとえ目の前にあるものでも、意識が働いていなければ、実際に見えていないことが多いものです。実は私、耳の鼓膜が破れていて聞こえがとても悪いのですが、聞きたくないことはほとんど聞こえないのに、聞きたいと思うことなら困らない程度によく聞こえます。つまり、人は五官でさえ、自分で勝手に調節しながら使っているし、都合よく働かせているもののようです。
「水晶体の働きは云々・・」という医師の説明が行われている間、私は、「そうだよね〜実は世の中はとても明るいんだけど、いろんな出来事があるせいで、濁って見えたり暗く見たりするんだよね。だって、物を見ている本体は「意識」だもの。医学では、水晶体はレンズの役割をしていて目に入る光を調節しながら・・とかなんとか目の働きを説明してくれるけど、本当は「意識」が五官を使って対象を見ているのであって、その意識が働く過程で過去生にまで遡る感情の記憶が蘇ると、それを見たくないという意識が勝手に目に取り入れる光さえ調節してしまうんだよね」とかいろいろ考えながら聞いているし、手術が不安な主人は「手術時間はどのくらいかかる?痛くないの?」しか聞いていないし

つまりね
人は、見たいもの、聞きたいものだけをチョイスしながら見聞きしているようなものですよ。見る、聞くその瞬間から、すでに自分のフィルターをかけているのですから。

だからこそ、その反対に、見たくないものも聞きたくないことも一切無くなって、五官が超クリアになったら、フィルターそのものが透明になって、なんでも見えてなんでも聞こえる状態になるのでしょうね。
ただ、あんまり見え過ぎたり聞こえ過ぎたりするのもちょっと辛そうだから、地球人である我々は「心地よいレベル」「ほどほど」が良いのでしょうけどネ


難しく考え過ぎないで、なんでもホドホドがいいと思うにゃ〜