For truth 「真理をたずねて」

ルーエの伝言

Life together人生を共に

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日本語って素晴らしい。

先日のブログで葉桜に移った季節のことを書いたら、早速トネリコ仲間から、ブログを見て「おしゃべりカフェ」で取りげて欲しいテーマが出てきたというメールが来ました。先日のブログのタイトル「願わくは花の下にて(春死なむ)」は有名な西行法師の歌ですが、桜と言えばもう一人、国学者の本居宣長の桜好きが有名です。その宣長といえばさらによく知られているのが「もののあはれ」や「やまとごころ」という言葉でしょうか。最近になって再脚光を浴びているこの日本を象徴する言葉をどのように解釈すればいいのか?というご質問でした。

実は、それからというもの、私の脳内細胞はすっかり学生時代に戻ってしまって、その頃がまるで今現在のように蘇ってきています。本居宣長といえば、私にとっては文芸評論家の小林秀雄なのです。小林を通して本居宣長を知ったのですが、学生時代に恋焦がれて読み耽った彼の評論の代表作の一つでした。私は当時、片田舎にまで押し寄せてきていた学生運動から距離を置くノンポリ(右でも左でもない)でしたが、その頃になぜか小林の文体が好きで好きで・・文章が難しすぎてよく理解は出来ていないのに、どこか「わかる」という感覚があって、決して読書家ではない私が彼の本を何度も何度も読み返したものでした。その時の本は55年以上を経ていまだに私の本棚で眠っています。



私は25年前に神秘体験をしたのですが、その意味を知りたくて大学に再入学し、再び小林の本を手に取る機会がありました。そこで気づいて大いに諒解したのですが、なんと、彼はスピリチュアリストなのでした!学生時代にわからなかった彼の言いたいこと、文面に溢れていた難しい言葉や論説にはスピでないと絶対に理解不能な言霊が並んでいたのです。読書家でもなかった当時の私には読み込めなかった彼の言いたいことの数々が神秘体験後は手に取るようにわかりました。
ただ、実際に神秘体験をしてみると、彼の評論はキワまでは行けているのに、最後の一歩を突き抜けていないのですね(不遜でごめんなさい)。でも、突き抜けると、文学も哲学も出来なくなるのでそれはそれで良かったのですが・・わたしの再学問はそれで終わりを告げました。文学や哲学には、そうでしかあり得ない!という宇宙の真理・法則はないのだとわかっただけで、またまた流浪の長い旅が始まったのでした。

まあ、この話をしだすと3日位かかるので(笑)、この辺にしますが、そういうわけで小林の解く本居宣長先生も間違いなくスピリチュアリストなのでした。ただ、突き抜けてしまった宗教家ではなく医師であり研究者だったから、細かい詰めを論理的&徹底的に探求出来たのだということ。
彼なくして私たちは古事記に触れることはできなかっただろうし(彼が漢字で書かれた古事記を大和ことばに翻訳した)、日本の確固たる理想像を指し示す「大和ごころ」も知ることができなかったはずなのですから。

というところまでは書いておかないと、「おしゃべりカフェ」で延々とこのテーマで話しそうなので、前置きとして書いておく次第「おしゃべりカフェ」ではもちろん、そんな小難しい話はさておき、私たちがどういう日本を目指せばいいのかという「大和ごころ」についてご紹介しますね〜

ついで、ですが、日本語って素晴らしいんですよ。

「敷島(しきしま)の大和心(やまとごころ)を人問はば朝日ににほふ(匂う)山桜花(やまざくら)」という宣長さんの歌は有名ですが、
この「匂う」という言葉の意味を探ると、単に良い香りが漂うという「匂う」という意味はもちろんのこと、「鮮やかに色づく、色が美しく輝く」という意味もあるし「内面の美しさなどが溢れ出て生き生きと輝く」なんて意味もあります。
一語の持つ意味がさまざまにあって実に奥深いのです。英語なんか学ぶより日本語を学べってことですよね。笑

それでは最後に、宣長先生のスピ的な本質を物語る名言を一つ。

「かぎりを行うのが人の道にして、そのことの成ると成らざるとは人の力におよばざるところぞ」

その意味はそれぞれ自分で考えてね