人生って、なんでこうなるの?という事態が起きることが多いですよね。
私は年齢と経験を重ねて来たので、どういう事態が起きても、まあそんなこともあるだろうと自然に思えるし、どんなことでも、「それもまた良いこと!」と思うので、不測の事態が起きてもあまり慌てることはありません。その事態をじっくり見定めた上で、今の自分でも何か対応できることがあればすぐに対応しますが、今はどうしようもなさそうなことなら、しばらくジッと静観します。
人生、いろいろあって当たり前。制限つきがあるのが地球。それを楽しむことこそ、地球人生を生き抜く知恵・・かつての体験でそれを嫌というほど教え込まれているし、根っこのところには「全てはきっとうまくいく」という確信もあります。
ただ、こうした考え方を、理解してくれそうもない人に言うのは控えます。
実際に見えない世界を信じていない私の妹も、上記のような考え方をする私を「それはスピだ!」「逃げている」と言うので、私も彼女にはあえて反論せず逃げています
(彼女は大のスピ嫌い。仲は悪くないのですが、スピリチュアルな話は禁物)
言ってることは正しいことでもバッシングされてしまう時は、「今はそれを言う時ではない」「今はそのやり方ではない」と言われているに等しいので、そんな時は言うだけソン
つまり、相手がそれを知ればきっと幸せになれるだろうという方法でも、それを「わからせる」というのは「コントロール」ですし、「わかってほしい」という思いは、相手のことを思いやっているように見えて、実は、自分の正義の押し付けになっているかも知れません。「気づいてほしい」と思うのなら、気づくまであの手この手の努力をすることが必要だし、何よりも、相手に「聞く耳がある」というベストタイミングを選ぶことが大事です
それもある意味、地球人生における知恵。生きていく上でみんなが同時に同じ価値を共有しているわけではないし、同じ意欲、同じ意図、同じ方法を選ぶわけでもありませんから。
セッションの時によく思うのですが、親子間や夫婦間の行き違いの原因が「わかるはず」という双方の都合の押し付けあいであることが多いように思います。
地球という惑星は「相対的な関係性」で学ぶ星ですから、お互いの相違から学ぶしかありませんが、それぞれが思い描いている現実が完全に異なるとすれば、何よりもその違いを前提として話を進めなくてはなりません。
それをするのが「今」ではないのなら、さっさと「逃げる」ことも大事です
そして、ココがポイントですが、じっと静観していると、必ず何らかの「動き」が出て来ますから、相手に聞く耳が出来そうな時に、「こう思うよ」と明快に、だけど、押し付けがましくなくアドバイスすれば、相手もピン!と来てくれるかも知れません。
いずれ、地球ではみんなが「自分の都合」で生きています。誰かが自分の都合に合わせてくれるようになるのは、幸福へのベクトルが同じ方向を向く時なのだから、まずは自分自身が穏やかで幸せそのものになれば、わざわざアピールしなくても、誰かにきっと「なんだか幸せそうに見えるのはなぜ?」と聞いてくるはずだから、その時にこそ思い切り自分の考え方を伝えましょう〜
私の妹はちょー現実的な人で、彼女なりに幸せなので、今はまだスピリチュアルな話を聞く耳を持ちませんが、彼女が幸せの意味を問うようになったら出番が来るかな?いえ、来てもよし、来なくてもよし・・今が幸せと本人が思えるのなら、それが一番ですものね
幸せのカタチは人それぞれ。みんなが、自分の居場所で美しく咲き誇れたらサイコーです