For truth 「真理をたずねて」

ルーエの夙川だより

’自分のことを自分で知る’・・「自知」がモットー。
自分らしく、ありのままに、
言行一致の人生を生き切るために。

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少し潮目が変わりましたね

あじさい夙川公園ではあじさいが満開です〜

今日、ある方のブログを読んでいたら、そこに引用文が載せてあり、日本語で翻訳したものと英語の原文が上下に並べられていたのですが、読み比べながらとても面白い体験をしました。自慢ではありませんが、私は英語は得意な方ではありません英文は、まあ辞書を片手に時間をかければ何とか読めるという程度。それなのに、日本語の翻訳を読むときには感じなかった高い波動を、読めもしない英語の文章から明らかにキャッチできた時はビックリしました。

翻訳された文面のエネルギーは弱いのに、原文の英語のエネルギーは非常に強い…これはどういうことを意味しているのでしょうか。どちらもスラスラ読めるとしたら、理解できそうな話ですが、読める日本語よりも、読めない英語の方にエネルギーを感じるという不思議…
理由はいろいろ考えられますが、結論的に思ったのは、「思念」の持つエネルギーの差ではないかということでした。原作者は、自分の「思念」を発信するために英語を使っているわけですから、その「思念」のエネルギーが文面に込められ、時空を超えてその文面を前にした人に伝わる…読める読めないに関わらずエネルギーが伝わるということは、エネルギーはもしかしたら字面自体が持っているものかも知れませんね。翻訳者の日本語の文章が原文の持つエネルギーを感じなかったのは、原文を内容を「理解」することは出来たけれども、「思念」までは共有することが出来なかった…ということなのでしょう。翻訳者が原作者の「思念」を共有できるほど文章の内容を体感出来ていたら、翻訳文からもきっと類似のエネルギーを感じ取ることができたでしょうものね。
この「思念」の共有というのは、別の言い方をすれば、「ああなるほど〜!」と、心からうなずける、腑に落ちるという感覚です。ピン!とくるというのもそうかも知れません。腑に落ちなければ、心からはうなずけないですよね?その、心のソコからうなずく感じ。
そう思えば、翻訳という作業はとても大事な作業なのですね。もしかしたら、エネルギーさえ変質させてしまうほどの力を持っているのですから…まあ、原作者と翻訳者の関係もまた「ご縁」つながりなのですから、エネルギーのミスマッチが起きたとしても、それはそれで何らかの意味があるのでしょうが。

さてさて、今年に入ってからますます「光」が増すようになっていますが、先日あたりからさらにエネルギーの潮目が変化しているように感じます。エネルギー的な変化が起きてから物質レベルに作用し始めるまではタイムラグがあるので、現実が変化するのは少し先になるかも知れませんが、時間のシフトも早まっていますので、時間の経過の感じ方がおかしくなっている人もいるのではないでしょうか?仕事のはかどり具合がいつもと違う、睡眠時間が変化する、あっという間に時間が経過していると感じる…エトセトラ。
こういう中では、「光」を受け取る準備ができている人は、ますます受け取ることになるでしょうし、「光」を受け取ることを拒否する魂は、少し困難な状況に陥るかも知れません。
どうぞ、意識して、“「光」を受け取る宣言”をしておいてくださいね。
出来ているかどうかは関係ありません。「光」を受け取ります!受け取っています!ありがとうございます!と意識的に思うだけで良いのです。
早くも、新月の「光の集い」が16日(火)迫っています。それまでの間、心からの願い事ができるよう、気持ちを整理しておくのも良いかも知れませんね〜

私もそうしたいと思います。なにせ、私も変わり目です。携帯電話の画面を破損したら本体交換になってドえらい出費になりました〜でもまあ、新品になったので、リスタートした気分でもあります。早速強化ガラスで画面を保護し、ブック型のカバーで全身を覆ってあげました〜
生きていれば、いろいろあるよね〜
物も使っていれば、いろいろあって当然だよね〜ってネ