For truth 「真理をたずねて」

ルーエの夙川だより

’自分のことを自分で知る’・・「自知」がモットー。
自分らしく、ありのままに、
言行一致の人生を生き切るために。

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それは「意識」の問題ですよ(^^)

今日は朝から久しぶりの快晴でした。ここ数日、雨を避けつつ進められてきた屋根の工事が最終日になってようやく青空になるのも・・な気持ちでしたが、無事に終わってまずは何より

それにしても、なんという日々だったことでしょう!きっかり3ヶ月
母の突然の入院から始まって屋根の工事終了の日まで、いろんなことがありました。なんだか、人生の出来事を一本のドラマに仕立てたような日々。そういえば、この間に話題のワクチン接種も受けましたよ。

ワクチンを打つ打たないは個人的なことですし、ブログに書くほどもないことですが、私がワクチン接種したと言うとあまりに驚くトネリコ仲間が多いので、感想を含めて書いてみたいと思います。
私が第1回目のワクチン接種をしたのは6月24日、2回目が一昨日7月15日。
こんなふうにブログを書けているのだから、2回目も腕の痛み以外は大した副作用もなし世間で言われているように、2回目の方が痛みは強かったかも知れませんが、それも少々強いというレベル。翌日はちょっとダルかったけど、これで済めば表面上は何事もなくという部類に入ると思います。

私自身はワクチンを接種したらどんなふうになるのだろう?と興味深々だったので、接種後は詳細に体を観察しながら、いろいろと面白い気づきがありました。
私が接種したのはファイザー製ですが、エネルギー的な変化が大きかったのは1回目の方。腰のあたりにグルグル回るエネルギーを感じ続けてちょっと気持ちが悪いくらいでしたあれ、地震?と思ったこともしばしばですが、私にとって「経験する全てが良いこと」なので、「おー次元上昇しとるんやな」という感じ。こんなふうにエネルギー的な影響があるんだと驚いたのですが、2回目はそのエネルギーが左の腎臓に入っていく体感があって、それと同時に「このワクチンは集合意識に影響を与える」というメッセージがありました。
どういうこと?と思うまもなく、自分の中に、「私がワクチンを接種したのは良いこと!」「自分で決めて自分で行為したことは全て良いこと!」という思いがふつふつと湧いてきました。

そうでした、そうでした
つまりね、ワクチンをうつ、打たないを自分が決めればいいのです。
そして、自分が決めたことなら、良いことに決まっているのです

他人が接種しようがすまいが、それは正直言って、どうでも良いこと。
他人の意見を、自分が選択する時のヒントにするのは良いのですが、接種する人、しない人という色分け自体がナンセンス。
これは良いことだと思えば、良いことになるし、ワクチンを打ったのに、これでよかったのか?・・と悩むようでは、不安なエネルギーを自分だけでなく世の中にさえ撒き散らしてしまうし。反対に、ワクチンは「悪」だと決めつけて、打たないことこそ「善」だとばかりに対立的に捉えると、二極化をますます増幅してしまうし。。。

つまりは、みんなが自分の選択を信頼して行動し、その結果を肯定的に受け入れる覚悟さえできたら、たとえワクチンの科学的効能がどうであれ、自分には良い結果をもたらすに決まっているし、それがひいては集合意識に良い影響をもたらし、人類は前に、さらに良い方向へと進めるのです。

最初はその気がなかった私がワクチンを打ったのは、ワクチンを接種すれば鹿児島の施設にいる母に会えるとわかったからです。「ワクチン接種後2週間を経過し、会うまえに病院でPCR検査を受けて陰性の証明をもらうこと」が面会の条件だと言われたので、その条件さえ守れば会えるのならお安い御用〜てなもんです

私が一番大事にするのは「流れ」ですし、その「流れ」自体がいつも宇宙に見守られていると信じているので、「流れ」に沿ってどう選択するか、しかありません
歳も歳だし、今更失う物は何もないからとも言えるけど、私にとって「生かされている」という意味は、
”私は宇宙の「壮大な光」の中の、ほんの「小さな光」
その光はとても小さいけれど唯一無二で、宇宙にとって欠かすことの出来ない一部
「個体」にもなれるし、「エネルギー」にもなれるけれど、その本質は「光そのもの」
宇宙の「大きな光」の中で自然な流れに沿っていけば、どんな時でも大丈夫だあ〜”
という意味。

というわけで、いろんなことを乗り越えつつある今、自分自身はさらに次元上昇している気がします〜


今年最初の月下美人が咲いたり、夏野菜が大きく育ちすぎたり・・どんな時でも季節は巡っていますね。

サクラにとっては受難の日々でした・・工事の音を怖がって一日中ベッドの下